NARUSE'S:BLOG

ハイロイン/上癮:Addictedの原作小説を和訳している男子大学生でした

第80章:俺は、ずっと想っていた。

海淀分署花園路警察署では、警察官のグループが机を囲んでトランプをしていた。

「おい! 遊ぶのはそこまでにしろ!!」

チャオ班長は声を張って呼びかけ、急かすように手を叩く。

「仕事だよ!ほら、早くカードをしまいなさい!!」

面倒くさそうな表情を浮かべながらカードを引き出しに放り込み、だらだらと帽子を被った警察官が、班長の前に列を作っていく。

「今日の午後、西部のジンドゥーホテルで行われる時計ブランドの推薦イベントに著名人が出席する。現場の秩序を維持し、著名人の安全を守るのが、君たちの責任だ。」

ヤンモンの隣に立っていたシャオリーズーが意気揚々と口をひらく。

「その著名人は女性ですか!!?」

班長は眉間に皺を寄せながら、「男だ。」と質問に答える。

「くっそー!!」

小柄な割に野太い眉を寄せながら、シャオリーズーは愚痴をこぼす。

「男性アーティストがイベントに出席し、警察に護衛を頼む?・・・どんだけ臆病なやつなんだよ!」

愚痴はまだまだ、止まらない。

「そいつには個人で抱えているボディガードすらいないのか?そいつに何かあったら、それを俺らが守らないといけないのかよ!?」

この愚痴に呼応するように、隣に立っている警察官たちも口を開き始める。

「そうだそうだ!ホテルには警備員がいないのか〜?」

「なんで俺らが行かなきゃならねぇんだよ!」

「金をくれ!金がなきゃやってられねぇよ!」

部下の愚痴を一通り聞いた班長は、手を挙げて静かに口をひらく。

「やめ。傾聴するように」

先程まで煩かった彼らは一瞬にして静まり、署内は静寂に包まれた。

「 当初、ホテル側は警備以外に警察を派遣する必要はないと言っていたが、局長命令でこの任務は決定されたんだ。それもこれも、この有名人様が広告してくれている時計ブランドは、局長の義兄の会社が設立したものが理由にあるからなんだ。」

納得してくれたか?と目配せをして、話を続ける。

「全員行くのはまずいので、シャオザイとウーハオは署内に残り、残りのメンバーが私と共についてくるように!」

班長の語尾に合わせるように、「はい」と号令がかかった。

 

 

現場へ向かう途中、ヤンモンは宣伝ポスターを手に取り、じっと眺める。

「犬も火照るその…」

一字一句読み終えた後、ヤンモンは声を荒げる。

「はぁ? これが名前だって!? こんな名前をつける親は最悪だな!!」

隣にいた警察官は、声を荒げるヤンモンを同情的な目で見て、「それは広告の宣伝文句だぞ・・・」と優しく伝えた。

「え!?」

その優しさに触れ、ヤンモンの目は左右へひっきりなしに動いていた。

「い、いや!この単語を見て、苗字だと思ったんだよ!」

 

 

 

ヤンモンと他の数人の同僚がプロモーション会場に到着したとき、すでに数千人のファンが会場を取り囲んでいた。

レッドカーペットの両側には長い非常線が2本設置され、その中を数十人の警備員が電気警棒を持っては往来し、非常線を越えた者には直ちに厳重警告が与えられるほど厳重な警備体制をとっていた。

ヤンモン達は車が停まる位置に立ち、有名人が来るとエスコートをする役を担っていた。

ーーなんだってやりたくない、こんなこと・・・。

周囲からは邪魔をしてくる、恨まれる存在として警備はその任を果たさなさいといけない。

 


午後二時ごろ、二台の高級車がホテルの前に停まる。

ヤンモンと数人の同僚はそれを確認すると、急いで急いで駆け寄り、エスコートの陣形を整えた。

記者らに押さ、もがきながら車のドアを開け、有名人の彼に車から降りるよう促し、会場に入るまで必死になって守り続ける。

「きゃああああーーーー!!!!」

犬の遠吠え、いや。何か機銃の音に似ている悲鳴が至近距離で四方から放たれる。

ーーうう、耳が。

ヤンモンは弱さを見せずに歩き進めなければならない。

もし、弱さを見せてしまうと、そこを狙って周囲のファン達が押し寄せてくるからだ。

「どぅああああ!!!!!!ぎゃーーー!!!!」

ーーそんなに凄い人なのかよ、やめろ!!!

ヤンモンは、そう心の中で叫び続けるが、おばちゃんを筆頭としたファンも叫ぶことをやめず、ひたすら警備員の耳を破壊しようとする。

ーーもう麻痺して何も聞こえなくなってきたよ・・・

十メートル以上歩くまでに何度も靴が脱げ、制服は何度も破れそうになった。

ーー国慶節の満員電車でもこんなじゃなかったぞ!

 

ヤンモンは追っかけはもちろんのこと、いわゆる“推し”を作ったことがない。

若い頃、何人かの有名人が好きだったこともあるが、もって数日以内に興味が薄れ、頭の中から居なくなっていた。

大人になった今では有名人自体に興味を失っていたため、護衛対象の有名人が車を降りた瞬間から今に至るまで、ちらりとでも顔を見たことはなかった。


あれからどのくらいったのだろうか。

ホテルまで続くレッドカーペットの途中に差し掛かった頃には、ヤンモンが着る制服のボタンはすでに2つ取れていて、襟は首の後ろの方へと捻じれていた。

誰かがヤンモンのズボンを掴み、その裾をまた他の誰かが踏んだため、勢いに負けてベルトがカチッと音を立ててズレ落ちようとしていた。

ーーやばい!!

ヤンモンが慌ててズボンを引き上げようと手を下げた瞬間、ファンは包囲網の弱点を狙って一点突破を仕掛ける。

「あそこ!!」

現場はたちまち混乱に陥り、ズボンを直したヤンモンが慌てて流れるファンを阻止しようと奮闘するも、暴徒と化したファンの渾身の一撃がヤンモンの息子へとミートする。

「ひゅおっ!!」

ヤンモンの悲痛な叫びはファンの怒号にも負けず劣らず、近くにいた同僚は然り、守っていた有名人へまでも届いた。

「ヤンモン!!?」

名前を呼ばれた本人は痛みのあまりに途方に暮れていたため、誰が自分を呼んでいるのか全くわからなかった。

しかし、助けに来てくれた人が自分の捻じれていた襟を正し、身につけていたそのサングラスを外して肩を揺らしてくれたことで、初めて認識することができた。

「ヨーチー!?! お前が、なんでここに!?」

驚くヤンモンの声を聞いて、周囲のファン達は声を荒げる。

「私たちのアイドルにお前ですって!?」

「あなた、何者なのよ!!」

事態の収束を図った警察や警備員らは「早く行きましょう!」と呼びかけて、二人ともホテルの中へと急いで運んでいったのだった。

 

 

 

暫く落ち着いてから、ヤンモンは自分に起こった状況を把握する。

「まさかとは思うけど、今日の有名人ってのは・・・お前?」

ヤンモンの発言に周囲の同僚は慌てふためく。

護衛対象への無礼な発言をした同僚と一緒にいると、自分たちまでとばっちりを受けかねんと同僚達が離れていく中、仲のいい後輩が恐れることなく親切心でヤンモンへを説得する。

「先輩、今の言葉を撤回して今すぐ戻りましょう? ここには記者もいるんです。恥ずかしい目に遭う前に、ここから離れましょう?ね?」

後輩の忠告を聞き入れることなく、沸々と湧き上がる感情を宥めながらヤンモンは語気を強める。

「恥ずかしいと思うなら、後ろに下がってるあいつらと一緒にお前も戻って行ったらいいだろう!!」

ヤンモンはヨーチーを鋭い目で見つめながら、自身の拳を硬く握りしめる。

「今日の要人がお前だってわかってたら、あんなことしなかった。護衛にも名乗り出なかったのによ!!」

悲痛な叫びに、ヨーチーは応えることなく沈黙を貫いた。

 

 

 

製品の宣伝会場にて、ヨーチーは広告塔としてメディアのインタビューを受けている。

その様子をヤンモンは、少し離れたところから見つめていた。

インタビュアーはまるで美しい花を見るような惚けた表情でヨーチーを眺め、彼もまたそれに呼応するように美しい表情を浮かべていた。

ーーあいつ、あんな表情しやがって!あいつが広告してるんだ、クソ製品に違いない。

ヤンモンの苛つきは収まらなかった。

「あと、どのくらいで終わりますか?」

ヤンモンは近くにいたスタッフに尋ねる。

ヨーチーに見惚れていたスタッフは彼の質問に少し遅れて気づき、「あと〜、最低でも二時間くらいはかかるんじゃないですかぁ?」と適当に返事をする。

「なんだって?・・・俺はお腹が空いてラーメンが食べたいのに」

思い切って行動することを選んだヤンモンは、一番良い席を他の人に譲り、急いでホテルを出て、向かいにあったラーメン屋へと走っていく。

たった、七百円のラーメンを食べる。

これが彼の人生であり、幸せだった。

 

 

ヤンモンが食事を終える頃には、インタビューはすっかり終わっていた。

「あれ、あいつは・・・」

ヤンモンの姿を探すが、どこにも見当たらない。

久しぶりにちゃんと昔の話でもしようと思っていたが、最初に居たはずの場所から、気がついた時には居なくなっていた。

「今夜はカクテルパーティーがあるそうです。参加されますか?」

キョロキョロと周囲を見渡すヨーチーの側にマネージャーが近寄り、そう尋ねる。

「いや。・・・行かないでおくさ」

 

 

断った手前、裏口からこっそりと退出し、ヤンモンが勤務していた警察署へと脚を運ぶヨーチー。

しかし、勤務先に着いた頃にはすでに退勤している様子だった。

「すみません、昔からの仲なんです。今の住所を教えてもらえますか?」

「あ、なら送って行きますよ!」

有名人の頼みだ。無碍に断れない後輩が、ヤンモンの住む家の近くまで案内してくれた。

 

 

案内された家の扉をノックする。

「すみません・・・」

その瞬間、まるで広場で妖艶な踊りをするかの勘違いしてしまうほど濃いメイクをしたおばさんが踊りながら扉を開けた。

「あら。ヤンモンなら父さんと散歩に出かけたわよ。そうね、暫くここに座って待っててちょうだいな」

そう言って現れたのは、ヤンモンのお母さんだった。

 

二人の帰りを待っている間、お母さんはヨーチーのことをじっと見つめては何かを思い出そうとしていた。

数十分経っただろうか、急に手を叩いて口を開く。

「あなたは〜・・・何て言ったかしら?・・・すごく見たことある。名前は思い出せないけど、多分私が見ていたドラマに出ていなかったかしら?」

母親の質問に、笑顔で応える。

「あ、すみません。自己紹介がまだでしたね。僕は、ヨーチーと言います」

それと、恥ずかしそうに「 ドラマには一回出演しただけで、主人公ではなかったです。脇役だったので、まさかお母さんが僕を知っているだなんて・・・」と付け加えた。

「やっぱり!初めて会ったときから、すぐ分かったわよ! だって、あなたが演じた裏切り者の役はめっちゃイライラしたもの!!・・・裏切り者!人の虐め方を理解している人!そう思ってたもの!」

母親の憎しみ方をみて、ヨーチーは眉を顰める。

「失礼ですが、僕はそんな役やったことないです・・・」

 

 

十分後、ヤンモンと父親が戻ってきた。

中にいたヨーチーを見て驚きを隠せない息子を抑え、興奮を抑えきれない父親が「まさか!ヨーチーさんですよね!? 私、ファンです!まさか!!」と慌てて家の中に入り、強い握手を交わした。

散歩をしている途中、ヤンモンは父親に職務でヨーチーに偶然会ったことを話していたが、まさか父親がここまで興奮するとは思わなかった。

ここ数年の苦労話を父親に愚痴っていただけに、その様子をみてショックを受けたほどだ。

実の父親がここまで色情狂的な表情を浮かべるのを見て、ヤンモンは息子として頭を抱える次第だった。

 


ヨーチーと父親の二人は、リビングで座っておしゃべりをしていた。

「お父さん、これ」

そう言って、ヨーチーはヤンモンの父親に映画試写会のチケットを差し出す。

「来週、僕が出演する映画が公開されるので、ぜひよければ・・・」

まさかの出来事に目を光らせる父親を横目に、ヤンモンはわざとらしい舌打ちをする。

「どーせ、大した役もない映画だろ?」

ヤンモンの不敵な笑みに対し、ヨーチーも意地悪な笑みを浮かべる。

「残念、これでも主役の一人だ」

ヤンモンは少し悔しそうな顔を浮かべながら「ま、本当の主演じゃないだけお似合いなんじゃない?」と頷いた。

 

 

ヨーチーは出されたお茶を一口飲みながら、その瞳に限りない感情で輝せていた。

「まさか、お前が本当に警察官になるなんてな!」

「お前が知らないだけで、予想外のことなんて沢山あるんだよ!・・・知らないだろうから言うけど、バイロインだって・・・」

「空軍のパイロット、だろ?」

ヨーチーがヤンモンの言葉をさえぎる。

「数日前に会ったよ。グーハイと一緒だった。」

「え?」

ヤンモンはその言葉を聞いて、驚く。

「なんで一緒にいるんだ? だって、二人は喧嘩してるだろ?」

「どのくらい前の話だ? それ。」

ヨーチーの問いに暫く考え込むと、「まあ、もう半年近く経つ・・・のか? いやぁ、時って経つの早いよなぁ」と誤魔化した。

変わらないヤンモンに、笑みを浮かべるヨーチー。

そして、しばらく見つめ合った後、ヤンモンが躊躇いながら口を開く。

「もしかして、まだインズのこと・・・?」

「いや?」

ヨーチーはすぐに否定した。

「忘れたわけではないけど、もう固執はしてない。・・・ただ、俺はどれだけ経ってもお前のことを忘れられないでいるよ」

その言葉を聞いて、ヤンモンは少し嬉しそうな表情を浮かべる。

「俺が居なくて寂しかったのか?・・・寂しい間、どうしようとしていたんだ?」

その問いかけに、ヨーチーは「わからない」と静かに伝える。

「あの時、俺の心は複雑だったんだ。ただ、何年も経った今になって振り返ると、インズに関する記憶はすげぇ曖昧になってるんだよ。」

段々と大きくなる声を抑えて、ヨーチーは言葉を紡ぐ。

「でも、俺とお前。その間に起きた全てのことは、めちゃくちゃ鮮明に覚えてる。」

ヨーチーの熱い言葉を受けて暫く沈黙が続く。

 

 

「長いこと合わない間に、頭をどこか強く打ちつけてきたのか?」

沈黙を破ってヤンモンの口から絞り出して出てきた言葉だった。

 

___________________

 

こんにちは!1年ぶりですか??

お久しぶりです!!なるせです!!

久しぶりの投稿は記念すべき80章目ですね!!笑

コロナも終わり、僕が姿を消したり現したりしている間に、いろんなことが進んだと思います。

きっと、もうハイロインには興味を無くした人や、僕のことを忘れてしまった人。

もうすでに全ての小説を読み終えた人。タイ沼だって同じです。

翻訳や沼活を続ける時間や気力は、取り戻しては失いを繰り返していました。

だから、また復活です!とは言い切れません。

ただ、数年前の僕の願い。この小説を最後まで翻訳する。この言葉は曲げないようにしたいなと思い、翻訳を再開させてみました。

また、このブログの総アクセス数が100万回を超えたことも、更新に至った理由の一つです。

まだ、このブログを訪れてくれる人のためにも、ひっそりと続けて行きたいと思います。

中国やタイなどBL界隈の状況は全くわかりません。今から無理して追いかけようとも思いません。ただ、まだ僕のことを覚えてくれる人がいたら、ゆっくりと付き合って行って欲しいです。

 

翻訳に関しても、物語を忘れているので口調などおかしい点があるかもしれませんが、お付き合いください。

また、何か粗相がありましたら、何なりとお申し付けください。

 

ps.最推しのOhmくんが来日するそうですが、チケット代が高くて買えなかったです、、。

それと、男性一人で参加するのが怖かったというのも断念の理由です。

もし何か、イベントがありましたら、一緒に参加してくれる優しい方を募集しています!

 

:naruse

第79章:束の間の再会

最近、就寝前の習慣になってることがある。

「今日はどうだ...」

回線を繋いで、グーハイが経営する会社のホームページを検索するバイロイン。

グーハイと会うことが出来ない日々の気晴らしか、毎晩会社が運営するホームページを開いては動向を気にかけていた。

「ん?今日も更新されてるな」

バイロインは、公式サイトが頻繁に更新されていることに気づく。

ーーたぶん、近々上場するんだろうな。...いつもより新情報が多いみたいだし。

いつもの情報をまとめたリンク先をクリックすると、目立つ文字で画面が埋まっていた。

『明日、十五時半。海因科技社の上場開始式は、当社の一階の展示室の外で予定しております。』

ーーもう上場するのか!

想像以上の速さに、思わず唸るバイロイン。

「??」

日付を見ると、自分が最後に確認した時から二十日が経過していることに気がつく。

「早いんじゃない。俺たちが離れてから、もう二十日も経ってたってことか...」

時が経つのは早いようで、寂しさで心が支配されるには十分すぎる時間だった。

ーーもうすぐ上場なら、今までは向こうも忙しかったんだろうな...

そう心配しながら、深くため息を吐いた。

 

 

うまく寝付けなかったバイロインは、また深夜の訓練を行おうかと立ち上がる。

しかし、夜間訓練はリョウウンによって禁止されているため、手持ち無沙汰に夜のキャンプ場を歩き回ることしかできなかった。

「... ...!」

皆が寝静まり、深い闇の包まれたキャンプ場で唯一明かりがついている部屋を見つける。

「隊長...」

暇を持て余したバイロインは、その灯りの方へと歩みを進めた。

 

 

リョウウンの耳は異常に発達しており、数キロ先の物音も聞き取れる。

そして、バイロインの寮からそう遠くはない部屋に滞在しているリョウウンは、バイロインが部屋から出た時の微かな扉の音を捉えることができた。

「またか...」

微かに聞こえる足音から、バイロインが数千歩以内にいることを察知する。

深いため息をつきながら、リョウウンは重い腰をあげた。

 

 

 

「また俺に怒られたいのか?」

下を向きながら歩いていたバイロインの前から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「あ、」

バイロインは顔を上げると、首を横に振った。

「あなたがまだ寝ていなかったようなので、様子を見に...」

「なんでお前も寝ていないんだ?」

バイロインの言葉を遮り、リョウウンが被せて質問を投げかける。

どうしようもない表情を作ったバイロインは、「暇で」と肩をすくめながら答えた。

実際のところ、バイロインは疲労困憊で、ドアノブさえもまともに握れないほど弱っていた。

どのみち、したくても訓練などできないのである。

「じゃあ、俺のところに来い」

苦笑いを浮かべながら、リョウウンはバイロインを自室へと誘った。

 

 

リョウウンの部屋に入ると、パソコンの前に厚い冊子が積み上げられており、今にも崩れそうな様子だった。

そのファイルを勝手に開くと、あるパイロットの最近の訓練状況の仔細がまとめられていた。

「身体状況分析、心理的素質分析......すごいな。全部手書きだ...」

リョウウンがペンと紙を持って訓練場にいる姿を思い出せないのにも関わらず、ここまで詳細に全隊員分の情報があることに驚きを隠せないでいた。

「...毎晩、こうして作業をしていたのですか?」

バイロインの質問に、リョウウンはインクで汚れた手を洗いながら答える。

「いや、最近上司に近況報告を命令されてな。それで慌ててまとめてただけさ。」

「報告、ですか?」

「ああ、明日この資料を持って本部に届けるってわけだ」

「明日...」その言葉を聞いて胸が騒ぎ出す「...北京に、帰るということ、ですか?」

洗い終わった手を拭きながら、リョウウンは声も出さず首肯する。

ーー北京に行ける...!?

その事実にバイロインは興奮して鼻息が荒くなり始めていた。

「どうした?」

おかしな様子のバイロインを覗き込むように眺めながら、リョウウンは眉間に皺を寄せる。

「何か買ってきて欲しい物でもあるのか?」

「い、いいえ」

呼吸を抑えながら、バイロインは首を横にふる。

「そうか。なら、お前も早く寝ろ。俺が向こうに行ってる間は、ここをお前に任せるんだからな」

リョウウンの言葉を朧げに聞きながら返事をして、どこか重たい足取りで扉まで歩く。

ドアノブまで手をかけた時、静電気が走って弾けたようにバイロインは口を開く。

「隊長。その、明日の北京の件。俺も同行できませんか!!?」

「はぁ?同行?...なんだ、もうリタイアしたいのか?」

リョウウンは冗談を言って笑いながら顔を掻く。

「まだ訓練が始まって数十日しか経っていない。なんなら、メインイベントは今から来るはずだろう?」

「リタイアしたいわけではありません」

リョウウンの言葉を否定した後、しばらくの沈黙があったが、バイロインは絞り出すように口を開く。

「儀式に、行きたいのです」

「儀式ぃ!?」

硬い物言いに、リョウウンは誰かが結婚したのか?と好奇心を示す。

「結婚ではないです。...グー社長が経営する企業が上場するようで、それのセレモニーがあるのですが、長いこと協力してきた私はそこに参列すべきだと思いまして...」

バイロインは瞬時に考えた完璧な理由をスラスラと述べる。

しかし。変な勘違いをしたリョウウンは、大丈夫だと肩を叩いて笑みを浮かべる。

「そこまでメンツを気にするなら、報告を済ませた後に俺自身が参加してくるよ。それで大丈夫だろ?」

その言葉を待っていたバイロインは、同じく笑みを浮かべながら口を開く。

「なら、なおさら自分も付いて行かないとですね。」

「なんだと!?俺がヘマをするとでも思ってるのか!」

リョウウンの大声と同調するように、バイロインも大きく笑う。

釣られて笑ったリョウウンが落ち着くと、「じゃあ」と呟いて息を整える。

「じゃあ、俺と一緒に行くぞ。でも、本部へと報告した後に向ったら時間がなくなるかもしれない。だから、式にはお前が先に向かっておいてくれ。」

昔の関係では考えられないリョウウンの優しさに、バイロインの顔は綻びを止められない。

「はい!」

「ただし、俺が迎えにいったらすぐに戻ってこいよ。時間の遅れは許さないからな!」

「はい!!」

返事と共に姿勢を正し、美しい軍礼をリョウウンに向けた。

 

 

 

まだ当たりが薄暗い早朝。リョウウンとバイロインは訓練施設を旅立つ。

道中で渋滞に遭ってしまい、予定時刻よりも三十分ほど遅れて時刻は三時過ぎになっていた。

「後は自分で行きます!」

リョウウンの車から降り、しばらく走ってはレンタル車を手配し、途中から別行動でグーハイの会社へと急行する。

バイロインが会場に着いた時には、会場はすでに大きく賑わっており、中に入れなかったバイロインは数百メートル離れた場所へと車を停めた。

「流石に遅すぎたか...」

しかし、本当は式に参加する気のなかったバイロインにとっては、隠れながら観察することのできるので、むしろ好都合だった。

この時、グーハイは一階の展示室で応援に来た指導幹部に会社の製品を紹介していた。

二人の副社長のうちエンは、会場配置の指示や裏方の仕事が多く、主に汚れ仕事に奔走し、激務の末に悲惨な顔つきになったいた。

もう一方でトンは、ずっと目立つところに立って賓客と話していたため、この会社の副社長としての良いイメージは彼に独占されているような状況になっていた。

三時半。式典が本格的に始まり、辺りはさらなる熱を帯び始める。

人混みに紛れてその場を過ごすバイロインは、誰にも気づかれないように立っていた。

「ここで、代表の入場です!!」

司会の男が声高らかに宣言すると、扉からグーハイとトンが笑顔で登場する。

二人は長く敷かれた赤い絨毯の上を一緒に歩き、周囲からは彼らの移動に合わせて万雷の拍手が鳴り響く。

この光景を見たバイロインは、胸の中で何か影を感じた。

「当社の上場イベントにお越しいただき、ありがとうございます!今回は〜...」

司会者が前置きを口にし、そのまま代表者挨拶へと移行する。

壇上で話すグーハイの顔を見れば、どこもやつれた様子はなく、精神的にも平気そうな雰囲気だった。

ーーなんだよ。

嬉しいような、どこか寂しいような。複雑な感情で見つめるバイロイン。

スクリーンで大きく映し出されたカウントダウンの数字が刻まれ、ゼロに到達した時、会社の屋上から無数の光の球と豪雷が鳴り響いた。

「花火、だって?」

驚くバイロインの視線には、海因科学技術社の名前と上場の文字が発表された。

ーーやっぱり、アイツはすごいな...。

バイロインが感心するや否や会場では無数のフラッシュが焚かれ、それと同じくして万人の拍手と祝いの爆竹が一斉に鳴った。

皆の拍手に応えながら降壇したグーハイとトンは、笑顔で抱擁を交わす。

「お前がいなかったら、おじさんが大変だったこの状況での上場は難しかった。本当にありがとう!」

グーハイからの賛辞に、トンは顔を緩める。

「いや、当然のことをしただけですよ。本当におめでとうございます!」

もちろん、隣に立っていたエンへのハグも忘れずに交わすグーハイ。しかし、残念なことにバイロインはその様子を見ていなかった。

グーハイがトンと抱擁を交わした段階で、目を逸らしてしまっていたからだ。

二人はずっと一緒に行動し、時折耳元で何かを話すように顔を近づけ、そのまま楽しそうに笑っているのだ。勘違いしてしまうのも無理はない。

その様子に、バイロインは耐えられそうになかった。

「はっ...はぁっ!」

胸に息が詰まってうまく呼吸ができない。

ボルテージが上昇する会場とは対照的に、バイロインの心は深く冷たい海へと沈んでいくようだった。

「...帰ろう。」

そう言ってバイロインは会場に背を向け、タクシーを呼び出した。

 

 

 

「あれ?あれって、噂のお義兄さんでは?」

トンがそう口を開くと、グーハイは苦笑する。

「こんな時にきつい冗談を言わないでくれ。なんで訓練中のアイツがここに来れるんだよ!そもそも、もし来るならきっと俺に電話を入れてくれるは...ず...」

言葉を最後まで言い切らずして、グーハイの顔色が急変する。

「あ、ちょっと!?」

トンを押し退けて急に走り出すグーハイ。

「おい!どこいくんだ!!この後はインタビューが入ってるんだぞ!!?」

そう叫ぶトンの声は、虚しくも人混みに埋もれていった。

 

 

 

バイロインはすでに乗車しており、タクシーは今にも動き出そうとしている。

このまま後ろを追いかけても追いつかないと判断したグーハイは、まだ走り出しで動きの遅いタクシーを利用して、フロント方面へと身を投げ出した。

ドンッッ!!!!!

タクシーと衝突したグーハイだったが、ほんの数歩後ろに下がっただけで、タクシーにも負けない強靭な体幹を披露した。

人を轢いてしまった運転手は恐ろしい目でグーハイを見ていたが、そんな視線に目もくれず、グーハイは後部座席へと移動するとドアを乱雑に開ける。

「降りろ!!」

中に乗るバイロインに向かって声を荒げて叫び、強引に彼の腕を引っ張っては外へと出した。

ドンっ!!

外に出るや否や、グーハイの大きな握り拳がバイロインの顔へと放たれる。

殴られても動じず、死んだ目をしているバイロインの襟を掴むと、そのまま路地裏へと引き寄せては壁に向かって彼を押し投げる。

「なんで連絡をしなかった!?なんで何も言わずにこっちへ来た!?...なんで、何も言わずに帰ろうとしてんだよ!!!」

「...なんか問題でもあるのか?」

そう言って見つめるバイロインの瞳から、正気は感じられなかった。

「なんだと?!!...なんで何も連絡を寄越さない!? 何十日も連絡を取れずに一人で過ごすことが、どれだけ辛いかわかってんのかよ!?」

「しらねぇよ」どこか怒りを瞳に宿しバイロインは言い放つ「それに、お前。辛そうに暮らしてなさそうだしな」

「このやろう!!!」

グーハイを押し退けてタクシーへ戻ろうとするバイロインだが、弱った体の彼の力ではどれだけ強く押してもグーハイを動かすことはできなかった。

退いてくれ!...そう口にしようとした瞬間、遠くからクラクションが鳴り響いた。

「おい!何してんだ?」

そう言って窓から顔を出したのは、リョウウン。どうやらバイロインのことを迎えに来たようだった。

「ちょうどいい。そういうことだから」

再度、厚い胸板に力を込めて押すと、今度は素直に身体が動く。

「上場おめでとう。社長さん」

そう言って歩き出したバイロインだったが、瞬時にその腕を掴むグーハイ。

「インズ!聞いてくれ!」

死んでも離さない意志を感じる引き止めに、バイロインは硬直してしまう。

「インズ。...お前がいない間、俺はエンと五年も交際を続けていたんだ。キッパリ関係を切ろうにも、あの女は俺にしがみつこうと必死になってきやがる。」

そう言ってグーハイは語り始める。

「トンのことはなんでもないんだ!お前が考えているようなことは一切ない!!...アイツを俺の会社に引き抜いた本当の理由は、俺からエンを引き剥がしてそのままトンとくっつけるためだったんだよ!!」

衝撃の事実に、バイロインの心は揺れる。

「...もしそれが本当だとして。それは上手くいくのかよ」

「まかせろ。大丈夫だ」

二人の会話を遮るように、後ろからリョウウンが急かしのクラクションを鳴らす。

「...どちらにせよ、俺はもう行かないと」

そう言ってもう一度歩き出そうとするバイロインを、グーハイは引き寄せる。

リョウウンが見ていることなど無視をして、グーハイは熱く、しかしガラスを扱うように繊細に、バイロインの口元へ愛の印を刻んだ。

「お前が帰りを...ずっと待ってる。」

 

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遅くなりましたが、更新できてよかったです!

そして、皆さんはGWをいかがお過ごしだったでしょうか!僕は、疲れた身体を癒すために連休を利用して、久しぶりに友人へ会いに小旅行をしていました〜

 

GWで皆さんよく読んでくださっているようで、コメントもたくさんあり、本当に励みになっていました!また、いろんな感想をお待ちしています!

:naruse

第78章:ただ愛しているだけ

酔いも回り、二人の会話はより砕けたものへと変わっていく。

「電話で出なかっただけで怒ってるぅ!??」

呂律が上手く回らないトンの投げかけに、緩みきった瞳で肯定する。

「ああ、そうだよ。...しかも、その後謝りにわざわざいったんだ。なのに、あいつは俺に会おうとしなかった!ずっと応接室で待ってた俺の気持ちにもなれよ...」

なんてひどい!と漏らしながら、口を手で覆って目を開く。

「彼はそんなに酷い人だったんですか?!」

「いや!お前はまだあいつの全部を知らないだろ?!」

酔の所為にするのか、グーハイは自分の過ちをバイロインへと転嫁し始める。

「あいつは急に怒って何も話してくれなくなるんだ。その怒るポイントが全くわからないだけに留まらず、意地でも俺と顔を合わせてくれないやろーなんだよ!」

その吐露に頷くトンの瞳も緩んでおり、油料理で濡れた唇と相まって上級の色男の姿そのものだ。

「...でも、まだ好きなんでしょう?」

その言葉でグーハイの口元はゆっくりと弧を描く。硬い顔に出来ていた線は柔らかくなり、彼には似合わない濃い愛の色を瞳の中に浮かべる。

ーーやっぱり。

その瞳を見て、トンもまたゆっくりと微笑んだ。

「まぁ、あいつは魅力的だからな!...何がとは言わないが」

「ベッドの上のことでしょう?...全く、先に下半身が言い包められてるじゃないですか」

グーハイは否定も肯定もしなかったが、その目がどちらを示しているのかくらいは酔ったトンでも分かる。

「それにしても、彼が喘いでる姿なんて想像できないですね...」

思わずそう呟いた内容がグーハイの逆鱗に触れる。

「お前...なぁに想像してんだよ?」

一瞬のうちに起きた出来事に理解が追いつかない。

「え、ちょっ」

胸ぐらを掴まれただけではなく、顔に一発もらったようで頬がヒリつく。

ーーああ、またやってしまったのか。

身の危険を感じたトンは相手を怯ませようと足蹴りを繰り出すが、大木のようなグーハイの太腿がそれを阻む。

そのままグーハイは大きな手でトンのこめかみを鷲掴みにして、横へ大きく投げ捨てる。

ーーう、お腹の中から...

吐き気を我慢しながらトンは額を摩る。

「俺は二週間も我慢した!!我慢したんだ!なのに、なんで何もないんだ!!...知ってるか!俺がどれだけアイツのことを想っているのか、知ってるのかよ!」

耳のすぐそばで破裂音が聞こえた。

視線を音の元へと動かすと、グーハイが投げた皿が割れていた。

「呑みすぎだ!!!」

トンが怒号する。

その声で我に返ったグーハイは、髪をかきあげてタバコを取り出す。

「酔ってなんかいない。...意識だってはっきりしている」

そう言って火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出す。

「嘘ですね」

そう言って立ち上がったトンは、グーハイからタバコを奪いって自分の口元へと運ぶ。

「彼にこんなに不満があるなら、その代わりとして私とずっと一緒に居てください。どうせ向こうもあなたの代わりを探しているでしょうし、あなたもその代わりを側に置いておくべきだと思います...」

荒い息が落ち着いてきた頃、グーハイは突然トンの顔の前へと自分の顔を近づけると、短くなったタバコを奪い取る。

「確かに、それは面白いアイデアだ」

そう言って笑みを浮かべ、煙をトンの顔へと吹きかけた。

受け入れたグーハイを見て、トンは妖艶な笑みを浮かべる。

「なら、そのタバコを私の口に渡してください」

グーハイは頭を下げて灰になりかけたタバコを見つめていたが、それをトンへと渡すことはなく、終始淡い瞳で眺めているだけだった。

「... ...。」

タバコは最終的に灰皿へと押し込まれた。

 

 

 

「あなた程の男であったも浮気は怖いんですね」トンは目を細めて腹から笑い声を上げる「そんなに彼を恐れてるんですか?」

その問いかけにしばらく黙っていた後、グーハイは淡々と話す。

「恐れてるんじゃない。愛しているからだ」

 

 

 

結局二人は泥酔し、電話が鳴るまでグーハイはソファーで寝ていた。

リリリリーー....

コール音で目が覚め、スマホをの明るさでやられる目を擦りながら画面を覗く。

今は深夜二時過ぎ、電話の相手は意外にもバイハンチー(バイロインの父)からだった。

『ダーハイ!ツォおばさんだよ!』

グーハイはツォおばさんの焦った口調を聞き、一瞬にして目が覚めた。

「おばさん、どうしたんですか!?」

『おじさんが!....横になったきり....そ....のまま.....』

言葉が途切れ途切れになり、全容がわからない。

「おばさん!焦らないで!そのままでいてください!!」

そう言って飛び起きると、素早く玄関に移動し靴を履き替え、ドアを押して外へ出た。

 

 

十分もしないうちにグーハイの車は、バイハンチー家のビルの下に到着した。

古い建物なのでエレベーターがなく、更にはバイハンチーは最上階に住んでいたが、グーハイはものの一分もせずに辿り着く。

「どうしたんですか!!」

バンッと扉を開け、目の前の光景を見て呆然とする。

義理の父は血の気なく地面に横たわり、その側ではツォおばさんが涙を流して肩を震わせ、モン(ツォおばさんの連れ子)はバイハンチーを揺すって動転していた。

「何があったんですか!?」

グーハイは急いで横たわる身体を調べ始めると同時に、ツォおばさんがむせび泣きながら言葉を紡いだ。

「私も知らないの!...さっきトイレに行きたいと言ってベッドから出ていったら...急にドンって音がしてっ...。急いで見にいったら、こうやって倒れてたのさ!...インズに電話しても繋がらないし、それであなたに...」

「救急に電話は?!」

グーハイの問いに、側にいたモンから「呼んだけど、まだ来てない」と返ってくる。

「わかった」

そう言ってグーハイはバイハンチーを担ぎ始める。

「俺の車で病院まで行きます」

グーハイの判断にツォおばさんは焦り出す。

「どうやって運ぶの?家には担架もないし、おじさんはとても重いでしょう?」

ツォおばさんの言葉を待たずして抱え上げたグーハイは、そのまま玄関を飛び出し、二分もしないで一番下に停めてある車まで運んでいった。

「すごい」

モンの称賛を背に受けながら、エンジンを蒸した車は赤い光の尾を引いて走り去っていった。

 

 

 

病院についてから応急手当を経て、命の危機を脱するバイハンチー。

「彼はいったいどんな状況ですか?」

グーハイの焦りに対照して、医師は冷静に口を開く。

 

「...突発性急性心筋梗塞でした」

 

その言葉を聞いて冷や汗が流れるグーハイと、顔が真っ青になるツォおばさん。

「おじさんは過去に冠状動脈性硬化症に罹っていましたか?」

グーハイがそう聞くと、ツォおばさんは首を横に振る。

「いや、これまで彼が病気になったのを見たことがないよ...」

下を向くおばさんに向かって、医師は説明を加える。

「突発性心筋梗塞は冠状動脈性硬化症歴のある人だけが犯すとは限らないんです。...心臓に異常がない人でも、心筋梗塞が発生する可能性があるということです。そして、専門の心臓病専門病院に行ってよく調べてみることをお勧めします。もし、冠状動脈性硬化症があるなら、早く治療したほうがいいですので...」

 

 

バイハンチーが目を覚ますと、二人は一緒に病室に入る。

「怖い思いをさせないでよ!もしダーハイが来てくれなかったら、今頃は...」

涙を流しながら、ツォおばさんは弱い力で手を握る。

おじさんは何かを言おうと口をゆっくり開くが、そこから声は出てこない。

ーーくそ。

その様子を見て、口の中で何の味もしなくなる。

「おばさん、おじさんを休ませましょう。続きは、夜が明けてからでも...」

身体が極度に弱っていたバイハンチーは、その言葉を聞いた瞬間に再び深い眠りへとついた。

 

 

グーハイは病室を出て、ツォおばさんの肩に触れる。

「おじさんをすぐに阜外病院へと移しましょう。すぐに検査をして、他に異常がないかを確認する必要があります」

有名な病院名を聞き、ツォおばさんは心配そうな顔を浮かべる。

「あの病院はとても入りにくいと聞いているけど、大丈夫なの?」

「...大丈夫ですよ!」

そう言ってグーハイは救急ビルの外に出ると、電話をかけ始めた。

 

 

 

四時過ぎ、バイハンチーは阜外病院へと移された。

検査、料金の支払い、病室の手配......すべてグーハイが一人で行っていたので、午前九時過ぎまでは息つく暇もなかった。

ピリリリリーー...

「...誰だ」

画面を覗くと、トンからの電話。

「何の用だ?」

『夜中からどこに行ってたんですか?』

「ちょっと色々あってな。...ちょうど良かった。午前中は会社に行けないかもしれない。何かあれば、俺に電話をしてくれ」

電話の内容を聞いてツォおばさんは、グーハイが会話を終えた瞬間に思わず口を挟む。

「ダーハイや。会社に戻りなさい!ここは私に任せて、あなたはあなたのことをしなくちゃ」

「おばさん一人で看ることができますか?」

グーハイは真面目な顔で見つめる。

「この病院には、俺が頼んだから入れてもらっているんです。だから、俺もいないと」

その言葉を受けて、ツォおばさんはため息を吐く。

「インズがここにいたら...」

「アイツには何も言わないでください」グーハイは突然口を開く。「もし何かあったら、俺に連絡をしてください。インズは訓練で疲れていて、精神的な負担をかけたくないんです。」

グーハイは念を押すように、少し語気を強める。

「アイツは今、とても危険な職業に従事しています。少しの不注意が、命の危険に直結することだってあるんですよ」

悲しい現実に、ツォおばさんは涙を浮かべる。

「二人のことを考えて...私は...」

グーハイは、ツォおばさんの皺に溜まった涙を指で拭い「大丈夫、インズはすぐ帰ってきますから」と励ました。

 

 

 

医師の診断によると、バイハンチーは冠状動脈性硬化症による心筋供血不足のようだった。

家族と話し合った結果、三日後にステント手術を行うことになり、その間、グーハイはずっとおじさんの側にいた。

手術が終わると、グーハイは急いで会社へと向かう。

そして入院生活が始まると、グーハイは会社と病院の両方を行き来し、多忙な毎日を過ごしていた。

一週間後、バイハンチーは無事に退院ができたが、その過程の一切をバイロインが知ることはなかった。

 

____________________

 

GWをいかがお過ごしでしょうか!

僕も息抜きに旅行の計画を立てているので、翻訳更新の日程は今日次の土日のどちらかの2回、更新したいとおもいます!

この翻訳が皆さんの楽しみになっていたら嬉しいです〜!

:naruse

第77章:仕事狂

バイロインに会えず帰宅してからというもの、グーハイは全てを忘れるように仕事に没入し、狂った生活を送っていた。

社員も彼の溢れるエネルギーに置いていかれないよう必死になっていたが、グーハイの仕事量はその誰よりも上回っている。それは、数多の書類に囲まれながら眠りに落ちる彼の姿が証明していた。

「...会議の主な内容は、上場計画の協議だ。ここにいる皆は、俺が選んだ上場指導グループのメンバーなってくる。後でこの中から取締役会秘書を選出して仕事を覚え、次の会議から運用していこうと考えている。じゃあ、まずはトン副社長から......」

そう言ってトンにマイクを渡した瞬間、雷鳴のような拍手で歓迎された。これは大げさな比喩ではなく、確かに雷鳴のような拍手だったのだ。

現在、会社ではトンの人気がかなり高く、その勢いはグーハイに追いてしまうほどで、エンを除いた全ての女性社員から慕われていた。

「やっと私たちの会社に男性が来たのよ!」

「しかもイケメンだなんて〜〜!」

男性に飢えていた社員から人気を得ることなど、トンのルックスからしたら造作もない。

また、トンはグーハイと同じように彼女たちの視線を全て無視していたが、そのクールさも人気を助長させる素材にしかならなかった。

「でも、わたしたちに媚を売るよりクールな殿方の方が素敵よねぇ〜」

「むしろ、むしろ!もしかしたら、社長と二人が出来ていたり〜〜...」

「「きゃーーー!!」」

グーハイが経営する会社の社員は、他と比べて女性の偏差値は高めになっている。そんな環境でも相手にしない男性二人を、乙女たちはカップリングとして見つめるようになっていた。

「やっぱり、社長×副社長よね〜」

「えーー、何それぇ」

このカップリング騒動はエンも巻き込まれており、謎の恋人敵対関係が形成されていた。

それも仕方がない。なぜなら、エンがグーハイに近づこうとする度にトンがそれを拒むのだ。

エンも彼女たちの側で仕事をする以上、この噂は早い段階で耳に入っていた。

「んなわけないでしょう...」

最初はそう思っていたエンだったが、考えてみると確かに彼女たちの言う通りであることに気づき始める。

「確かに...。最近はやたらとあの二人が一緒にいるわよね」

嘘でしょ!?とエンは頭を抱える。

しかし、彼女はどうしてもグーハイが男性嗜好であることを信じられずにいた。

「トンの野郎が、グーハイのことを想っているのね...」

エンは導き出した結論は周りの噂とは少し違い、トンだけを異端とするものになっていた。

その結果、エンはトンのことを恋敵として次第に認識するようになったのだった。

 

 

 

「以上で会議は終了だ。じゃあ、最初に話した通り、次は臨時の取締役会秘書を決めたいと思う」

そうグーハイが発言すると同時に、一人を除いた全ての視線がトンの元へと集まる。

何も本当に秘書としての注目を集めてるのではない。トンがそのポジションについたとしたら、彼女たちは彼と話し合える機会が格段に上がることが理由だった。

 

「私がやります」

 

そう名乗り出たのはエンだった。

秘書の立場はかなり厳しいもので、誰もやりたがらないのが常である。そんな立場だとしても、エンはグーハイの側にいたかったのだ。

しかし、その自薦に呼応するかのように反対の意見が出る。

「いえ、私はトン副社長が務めるべきだと考えています。この業務は多忙を極めており、女性よりも男性の方が適当だと思うからです。また、トン副社長は香港で役員を経験していたことがあると伺っております。上場企業として運営するために、外部顧問を雇うよりもトン副社長が指揮をとっていただいた方がスムーズに移行できるのではないでしょうか?」

筋の通った意見に賛同の声が集まる。

「確かにその通りだと思います!力仕事は男性に任せましょう!」

圧倒的不利な状況に、エンは苦笑いを浮かべる。

「ご心配ありがとうございます。ですが、同じような事をこの会社の立ち上げの時より行なっていましたが、今よりも激務だったのにも関わらず特に問題はありませんでした。そして、取締役会秘書は企業と政府部門、仲介機構の関係を調整する必要があります。昔からの人脈は私が持っているものであり、その流れとして、私の方が適当であると自負しております」

エンもただやられる女ではない。

彼女が口を閉じた瞬間、グーハイがついて口を開く。

「ああ、確かに昔からの付き合いになるエンには期待している...」

その言葉を受けて、エンは勝利の笑みを浮かべる。

「だが、やはり取締役会秘書はトンに任せることにする。エンにはその補佐として、外部とのやり取りを任せてみたいと思う」

先ほどまでの笑みは瞬く間に崩れ落ち、綺麗な顔が紫色へと染まっていく。

ーーえ、どうして??!

彼女がこの職務を希望したもう一つの大きな理由は、社内での意思決定の強さと多くの業務に実行命令が出せるという点が気に入っていたからだった。

外部との協調は、その職に就いても周囲から文句が出ないように努力していた部分であり、本当に才能があるから取り組めていた業務ではない。

ーーなんでこんな酷い仕打ちをするの?

エンの思いとは裏腹に「大丈夫だろ?」とこちらをみてくるグーハイの頼みに、首を横に触れなかった。

 

 

 

会議が終わった後、エンは何人かの美人の後ろをトボトボと歩いて移動してた。

「ねえ、さっき会議中にペンが落ちたんだけどさ。拾おうとした時にヤバいものを見ちゃったんだよね〜」

「え、なになに?」

「私たちの社長の逞しい脚が、トン副社長のスラッとした脚と擦り合っていたのよぉ〜」

「ええ!?...嘘、ほんとに見たの?」

「見たのよ!」

確かな口調で人差し指を天に指す。

「それで顔を上げた時にね、お二人の顔を見たら〜...。すっごく熱い視線で見つめ合っていたのよ〜〜!!」

言い終わると手で顔を覆い、黄色い悲鳴をあげる。

「それが本当なら、相当な愛ね!!」

ーーうげ、気持ち悪い...。

耳に入れないようにしていても、声量の大きい女たちの声はエンの耳に刺さってしまう。

「もう嫌よ!!」

そう叫んで扉を閉めるエンだった。

 

 

 

 

深く息を吸って、トンは白い煙をゆっくりと吐き出す。

「彼女はすごく質がいいはずなのに、なぜあなたの前では浅はかになってしまうのでしょうか...?」

トンはどこか憂うように、笑みを含みながら口にする。

トンの言葉がグーハイに届くことはなく、その脳内はスケジュールを確認した時に思わずバイロインと離れている時間を瞬時に計算していた。

ーーだめだな...

今は考えないように仕事に没頭していたつもりだったが、どんな些細なことでもバイロインのことを思い出してしまう。

「そういえば、あなたも料理が得意なんですよね?」手に持つライターを弄りながらグーハイの方を見つめる「仕事が一段落したなら、ご馳走してくださいよ」

今度はしっかりとグーハイに届いたようで、怒り狂った獅子のような表情を返された。

「まだそんな怒っているんですか?...もう何に怒ってるのかよく分かりませんよ」

あの日以来、グーハイから度々何か言われることがある。しかし、トンにとってその内容は理解できないものばかりだった。

「思い立ったら吉日と言いますし、さっそく今日お伺いしても?」

トンは気にしないような食事の話を続けるが、それに対してグーハイの堪忍袋の緒が切れかける。

「...おい。エンがいない時はお前も俺の前から消えろ」

「... ...。」

タバコを押し消し、長い足でゆっくりとグーハイに近づく。その距離は、二人の顔が残り数センチのところまで縮まった。

トンの瞳が、グーハイの双眸を捉える。

「もう、十二日もまともなご飯を食べていないでしょう?...そろそろ自分を許して下さい」

 

 

 

 

結局、グーハイはトンを家に招いていた。

玄関から入り、トンは靴を脱いで用意されていたスリッパを履こうとしたが、その手前でグーハイに止められる。

「これは駄目だ。...新しいものを持ってくる」

そう言って玄関に置かれていたスリッパを抱えると、大切なものを仕舞うように寝室へと運んでいった。

 

グーハイが台所に立っている間に、トンは広い家を観察していた。

ーーベッドとバスタブは一つずつなのに、なんで食器も歯ブラシも同じものが二つずつあるんだ?

食器などはスペアで考えられる。しかし、ベランダに干された男物の下着はどうにも引っ掛かる。

「誰かと同居しているんですか?」

トンは意外そうに問う。

ダンッッ!!

まな板に対して四十五度に傾きながら突き刺さった刃物を置いて、グーハイは冷たい表情で振り返る。

「あ...」

なぜ、グーハイがトンに対して「お前は俺を傷つけた」と言っていたのかが、漸く分かった瞬間だった。

ーー誰だ。誰がこの人の周りに...

よく考えてみたら、意外にも簡単に特定することができた。

「あぁ...なるほど」

 

 

 

 

 

「ささ、お酒でも飲みましょう!」

トンは手品のようにかばんから酒を一本取り出す。注がれたグラスから、かなり度数が高い香りが漂った。

今のグーハイにとって、お酒はリラックスするのに最適だった。

グラスが何回か空くにつれ、食卓にも豪勢な料理が品を揃えていった。

 

 

「まさか、お義兄さんとなんてねぇ〜...」

トンは感慨深そうに切り出す。

「でも、彼は確かに魅力的なお方だ。この私ですら、彼のことをよく知りたくなるほど良き香りが漂っていました」

トンの話を受け、酒に酔ったグーハイは熱い吐息を漏らす。

「だから困るんだよ...」

その目には厳しさなどなく、緩く純粋な瞳になっていた。

「あいつはクソ真面目だから、今頃自分を痛めつけて訓練をしてるに違いないんだ。...くそ、それを考えるだけでも苛ついてくる」

トンはまぁまぁと宥めながら、空いたグラスにお酒を注ぐ。

「インズは...おべっかもできない馬鹿野郎だ。適当に過ごせばいいのに...。それが心配で、ずっと一緒に居たいんだけど...」

ぐっとグラスに入った液体を飲み干し、食卓へと叩きつける。

「...でも、そうしたら嫌われるんじゃないかって。怖くなるんだ。」

滅多に見ることのできないグーハイの弱音に、トンは頬を緩める。

「そんな杞憂で済むようなことよりも、まずはあなたに引っ付くあの女をなんとかしないと」

「...そうだな」

吐息と一緒に出てきたその小さな声に、トンは眉を上げながら心配の息を吐くのであった。

 

_______________________

どうも、まだ社会に馴染めないnaruseです...笑

時間が空いたので、パパッと翻訳してみたのですが〜。眠たくて、ちょっと文章がおかしくなってる部分があるかもしれません!

 

コメントなどいただけると、励みになります!

:naruse

第76章:愛されるということ

グーハイは応接室でずっと待っていたが、返事はいつも同じもので、最後まで彼に会えることはなかった。

「...くそ」

無機質な時計の針が、ゆっくりと音を立てて聞こえてくる。

自分がどれだけ深い傷を負わせてたかを理解するには、十分すぎるほどの時間だった。

「皆が寝静まった後なら、ゆっくりとお話しする時間があるかもしれません」

どこかを眺めるグーハイの耳には届かない。

その視線は遠くない食堂の3階、角の位置に座って食事をするバイロインを捉えていた。

何を食べているのかまでは分からないが、大きくスプーンにとって食べ物を口に運び、それを苦しそうに飲み込む様子がしっかりと見える。

ーーうまいものじゃないだろうに...

約三百メートルの距離。しかし、その距離でもグーハイははっきりとバイロインの心の中の苦しみを感じることが出来る。

ーーああ、今すぐ抱きしめに行きたい。

抱きしめに行って、世話をして。美味しい食べ物を沢山食べさせて、謝りたい。そんな気持ちだけが膨れ上がる。

「グーハイさん、これ以上中へ入ってはいけません。」

彼を想うあまり、無意識のうちに足が施設内へと向かっていたようだ。

「私たちを困らせないでください」

「あ、ああ...」

銃を構える門兵に忠告され、よたよたと数歩後ろにさがる。

ーーインズ。お前はもう、俺に会いたくないのかよ...?

 

 

 

バイロインは、ガラス越しにグーハイの車が去っていくのを眺めていた。

口に含む饅頭が、なぜだか少し塩っぱい。

「ここの食事はどうだ?」

口に含んだものを中々飲み込まず、外を眺めているだけのバイロインに目を細めてみる。

バイロインは一瞬で我に返ると少し目尻を拭き、ただ淡々と「まぁ」と返事をした。

全然箸の進まない様子と今の返事を照らし合わせ、グーウェイティンの目尻は余計に皺が深くなっていた。

「ならどうして料理を食べないんだ。...ほら、冷めてしまうぞ」

その言葉を受けて口に含んだままの濡れた饅頭を喉に押し込むと、怒ったように箸を握り締めて次に手を伸ばす。

実のところ、操縦桿を長い間握っていたバイロインの両腕は、もう正常に箸を持つことができないほど疲弊していた。

その為、ここ数日は別の簡単な食べ物ばかりを口にしており、今回の料理はグーウェイティンに舐められないよう良いものを揃えただけだった。

「あなたもどうぞ。ここから帰るのには何時間もかかるので、お腹が空きますよ」

そう言って、なんとか自分の弱みを隠そうとお皿を指で押す。

「...ああ」

グーウェイティンはお皿を受け取りながら傷だらけの男を見つめる。

ーー入隊してから、もう九年になるのか。

この九年間、グーウェイティンは彼から多くの驚きを与えられてきた。

ユエンと結婚してから長い間、バイロインは自分の為より誰かのために動いてるように見えていた。そうは言っても、入隊してから暫くは会うこともなかったため、バイロインの全てを知っているわけではない。

しかし、こうして目の前でボロボロになりながら自己犠牲を一貫する若者を見ていると、冷酷なグーウェイティンと言えど心にくるものがあった。

それが、義理でも自分の息子であるなら尚更だ。

バイロインは震える箸でお肉を挟み、義父のお皿へと差し出す。自分は手元にある饅頭を口に運び、何かに耐えるように下を向いていた。

今、バイロインの心はここになく、食事は生命維持のための機械的動作であり、旨味などは一切感じ取れない。

グーウェイティンは自分に渡されたお肉を頬張るが、目の前のバイロインを見ていると食べ辛らさを覚える。

「ほら」

グーハイが去った悲しみに浸っていたバイロインの目の前に、突然箸が伸びてきた。

「食べなさい」

グーウェイティンが優しく接することなど、滅多にない。

目の前で行われた行為に愕然するも、次第に唇が震え始める。そして、堪えるように目線を下げた。

普通の兵士であれば、上官から食事を分け与えられたという意味で感動するだろう。

しかし、いまのバイロインにとっては”父”としての優しさに触れていた。

九年前、グーハイが交通事故を起こしてから自分に恨みを抱いていると思っていた義父からの父親らしい行為。

「ほら、遠慮しないで」

そう言ってバイロインの口元に運ぶのは、彼が箸を持てないほど疲弊してることを見抜いていたからだった。

「... ...。」

グーハイから何度も口に料理を運んでもらったことはあるが、どんなに嬉しいことがあっても涙を流すことはなかった。

しかし、今のバイロインは必死に感情を殺そうと肩を振るわせている。

もう九年前の心理状態ではない。

様々な苦難を受け入れてきたバイロインは、自分が負う責任を十分に理解していた。そして、その責任を認められ、もう無理をしなくていいと言われる事を強く望んでいる自分がいることにも気づいていたのだ。

「あり...がとう、ございます」

漏れる吐息の隙間から絞り出す言葉と同時に、光る一粒の涙が零れ落ちた。

そしてその涙は、帰った後もグーウェイティンの脳裏から離れなかった。

 

 

 

夜の訓練が終わって寮に帰ると、バイロインはベッドの布団がなくなったことに気づいた。

「なんなんだ?」

頭を掻いていると、後ろからドアを叩く音がする。

「隊長、入ってもいいですか?」

聞こえてきたのは、リュウチョウの声。

「何か用か?」

バイロインの声を確認して部屋に入ってきたリュウチョウの肩には、さっきまで探していた自分の布団が抱えられている。

「それ、俺の布団だろ?」

そう尋ねられ、リュウチョウは笑みを浮かべる。

「布団が湿っぽいの気付いてました?最近ずっと雨が降ってたんで、なんだかカビ臭かったんですよ」

そう言って布団をおろす。

「今日はよく晴れていたんで、自分のを干すついでに隊長のも干しておいたんです!...だって、バイ隊長はご自身でそんなことしないじゃないですか」

「俺によくして、取り入るつもりか?」

バイロインは口元に笑みを浮かべた。

「お前がそんなことをしてくれても、俺は何もできないって言うの...」

「少し。...お聞きしてもよろしいでしょうか」

話を途中で遮ってきた部下は、真剣な眼差しをしていた。

「...お前が聞きたいことくらい、わかってる」

リュウチョウとは長い付き合いだ。これ以上隠しても無駄だということくらい理解していた。

 

 

「ああ、俺とグーハイは恋人関係だよ」

 

 

心の準備をしてきたつもりだったが、想像以上の衝撃でリュウチョウは震えが止まらない。

「どうした。驚いてるのか?」

バイロインは軽い口調で聞いてくる。

「い、いえ!」

リュウチョウは急いで首を横に振った。

「じ、実は。この前、自宅の方へお伺いした際に縛られていた隊長を見て、何となくそんな関係なのかと推察していました。...すみません!」

「はは、別にいいさ」

「そ、それよりも。なぜ私がお二人に話しかけると、グーハイさんは私のことを毛嫌いして隊長から遠ざけようとしてくるのですか?」

ーーやっぱり気付いていたか

バイロインは心の中で笑い声を上げる。

「実は、隊長!自分もあなたに好意を抱いてた時期がありました!...ですが、それは心配からくるものというか、なんというべきか。少なくとも、グーハイさんと同じような感情ではないことは確かです!...畏怖するべきというか、尊敬の度合いが越してスターのように縋っていたのかもしれません。」

いつも短い言葉で、短い返事で自分に従ってきたリュウチョウだからか。バイロインは初めて部下の口から論理的でしっかりとした台詞を耳にした。

「もういいって。...そんなくだらないことで悩んでないで、訓練に励むんだ。そして出世でもしたら、女なんて選び放題だろ?」

そういうバイロインの事を不思議そうな目で見つめるリュウチョウ。

「隊長こそ、こんなにかっこよくて、条件が揃ってる男なのに。...どうして男性と一緒になろうと思ったのですか?」

「俺のどこに条件の良さを感じんだよ」

バイロインは顔をくしゃりとする。

「軍人と結婚したい一般人なんて特殊だろ。例え結婚したところで、家で会えるのは年に数回あるかないかくらいだし。訓練で出張したら、毎回健康を報告するんだろ?考えただけで面倒だ」

「そう...ですね」

リュウチョウは思わず納得する。

「でも、その話を聞くと余計なぜだかわからなくなりました」

素直な反応に思わず笑ってしまう。

「別に特別な事じゃない。ただ、二人して泥舟に乗ったからもう降りられないだけさ」

「それでも、なんて言うんでしょうか。お二人が一緒にいる場面を想像できないというか、似合わないですね」

グーハイとはいつも喧嘩ばかりしてるバイロインだが、リュウチョウの言葉を聞いて心が急に騒めき立つ。

「に、似合わないって、なんだ?」

それはー、と考えるように口を開く。

「男が男と一緒にいても、陽と陰は満たされないじゃないですか。それに、お二人はすごく男らしいし、どちらが女性のように振る舞うんですか?」

「はあ?」

想像していたこととは違ってひどい内容で話してきたリュウチョウの両肩を強く掴む。

「それは...、お前が心配する必要があるのか?」

強い語気でいつものように低く唸る上官だが、その影に脆弱性を感じる。

その様子を見て、いつもは従順な部下なリュウチョウの心にも悪魔の感情が芽生え始めていた。

「隊長?...あの時は興奮していたんですか?」

ニヤニヤとするリュウチョウとは対照的に、顔を暗くしていくバイロイン。

「関係ないだろ...!」

「じゃあ! どちらが下で、どちらが上ですか?!」

水を得た魚のように笑みを深めるリウチョウ。その顔は、バイロインに絞められているせいか、笑っているせいか真っ赤に染まっている。

「調子に乗るなよ!」

バイロインは誤魔化すように口を開くが、その一言でグーハイに善くしてもらっていると悟らせることにも繋がった。

「あぁ、隊長が...」

リュウチョウはどこか納得できない表情でを浮かべる。

「下で受け入れるなんて苦しくないんですか?...その、なんて言うか。彼が攻めているのを想像するとゾッとするというか...」

リュウチョウの話した内容を受けて、ハッとする。

「お前、...見てたのか?」

「いや!故意ではないです!...ただチラッと、チラーッと見えただけで」

そう言いながら両手を顔の前にかざし、長い指の間を開いてはその隙間から凛々しい瞳を覗かせる。

「はぁ、もういい。お前と話してたらキリがない!」

さっさと帰れと手を振り、リュウチョウの背中を押し出す。

「あ、まってください!」

部屋から追い出される寸前に、バイロインの方を振り向いて指を立てる。

「最後に、もう一つだけ質問をしてもいいですか?」

「....なんだよ」

先ほどまでとは打って変わり、いつもの真面目な表情に戻るリュウチョウ。

 

「二人は結婚するつもりですか?」

 

その質問に言葉が詰まり、黙り込んでしまうバイロイン。

しばらく下を向いて考えた後に、落ち着いた表情でゆっくりと顔を上げる。

 

「結婚か?...そうだな。この関係が続くなら、な」

 

そう言うバイロインの顔は、この訓練地に来てから一番優しい表情をしていた。

「そうですか。...そうなるといいですね!」

 

___________________________

 

あーー、今回は大分意訳というか、僕の解釈が入ってます。

分かりやすくするために加筆してしまうのが僕なので、正しい翻訳ではないことをご了承ください!そして、誤字脱字があれば、Twitterの方で指摘お願いします!

 

今回は告白をする章でしたね!!

いや〜〜、早くグーハイと抱き合って欲しいっ!笑

 

コメント全部見ています!本当に嬉しいです!ありがとうございます!

:naruse