第11章:見合い
ジャン・ユエン(バイロインの母)はグー・ウェイティン(グーハイの父、ユエンの再婚相手)に勧められるまま軍区域内に住み始めてから七年程になる。
その間バイロインと彼女が会う回数は決して多くなかったが、時にはユエンが息子を想い素性を隠して愛する息子の部隊にお忍びで会いに行くなどを繰り返していた。
そのようなことを続けていた為、今ではバイ・ハンチー(バイロインの父親)よりも彼女の方がバイロインと直接会う回数が多くなっていた。
春節が近づいてくると一部の職場は休みになるため、ユエンもまたバイロインの仕事も休みにならないかと考えていた。
バイロインはここ数日、忙しさで気が狂いそうだった。毎日必ず決まった体力トレーニングと技能訓練以外に、定期的に協力企業の仕事を視察する必要があり、残りの時間はすべて研究室にこもってプロジェクトの仕事をこなしていた。
睡眠時間はどんどんと削られていき、毎日まともに眠れる事はなく食事の最中に寝落ちしてしまうこともしばしばあった。
ユエンがバイロインの元を訪れた時も、その姿はパソコンに向かい大量のデータを相手に忙しなく指を動かしていた。
「シャオバイ(あだ名の様なもの)、お前の母親が会いに来ていたぞ」
部屋に入ってきたエンジニアが笑いながらそう教えてくれた
バイロインは眠そうな目で玄関の方をちらっと見ると、怠け者の助手に向かって
「俺は今忙しいんだ、彼女に用事がないなら帰るように伝えてくれ。」
とぶっきらぼうに言い放つ。
言伝に行った助手がすぐにまた戻ってきた
「隊長に報告します!あなた様の母親はとても大切な話があるとおっしゃっていました!十分だけお時間が欲しいそうです!.....そしたら帰るってさ」
ふざけた様子で戻ってきた同僚をしばらく見つめていたが、ため息を吐いてその重い腰を上げて彼女の元へと向かって行った。
ユエンは車の中で座って待っていた。
バイロインが建物から出てくるのを見ると、車から降りようとしたがそれを手で止められる。
「降りなくていい。何の用だ?」
そう言って、バイロインが車に乗り込む
「あら、久しぶりね!顔色が悪く見えるわ。しっかり寝ているの?」
バイロインは手持ちのタバコに火をつけて、深く吸い込みながら面倒くさそうに話し出す。
「仕事が大量に溜まってるんだよ。年内で全部始末しないとけない案件ばっかりなんだ。めちゃくちゃ忙しいから今年は部隊内で年を越すかもしれない」
ユエンは会話をしてくれる息子を愛おしそうに見つめる
「そうだ!お母さんがあなたの為に沢山サプリメントを持ってきたの。トランクに積んであるから、降りる時は忘れずに持って行ってね。」
「.....俺に会いに来たのはサプリを渡す為だけじゃないんだろ?」
「もちろん違うわ!」
ユエンはバイロインの手を取り自分の掌を重ねる
「チョウおばさんに娘がいるのは知っているでしょ?彼女もあなたと同じ年で、対外経済貿易大学の大学院生だったの。卒業したばかりだって言うのに、月給はもう何十万円を超えたそうなのよ!」
ーーまた始まった。
バイロインはため息と共に顔を伏せる。
「.....何が言いたい?」
「あなたももう二十六歳になったわ。なのにずっと独身だなんて良くないと思わない?昔良いなと思っていた女の子なんて今頃みんな結婚してるわ。あなたも、入隊してもうすぐ八年になるじゃない。生活も安定してきたみたいだし、そろそろきちんと自分の事について考えるべきよ」
バイロインは重ねられていたユエンの手を振り払う
「今は本当に忙しいんだ」
そう言って車から降りようとするが、ユエンはバイロインの腕を掴んで離そうとしない。
「インズ、チョウおばさんの娘さんはどうかしら?会ったこともあるでしょう?すごく可愛いし、チョウおばさんだってあと二年で退職だし、彼女は先生は中学校の校長だわ。いい家庭条件じゃない!」
「ハァ....。興味がない。」
「じゃいつまで待てばいいの!?」
ユエンも焦っていた。
「二十六歳よ!?シャオハイだって彼女がいるわ!...あなたは?彼女さえいないじゃない!周りの人がどんどん結婚していって、あなただけ独身のまま!このままで恥ずかしくないのッ!?」
ユエンは八年ぶりにグーハイに会いに行っていた。
ある出来事からこの名前をバイロインの前出すことが禁じられていたが、つい口を滑らしてしまった。
「何が恥ずかしいんだよ?」
そう言って微笑むバイロインの笑顔には温かみが一切無かった。
「いくら可愛い女性と結婚したところでそいつら全員いずれは皺だらけの醜い姿になるだけだし、子供ができたからってそんなの家庭でペットみたいに飼育されるだけだろ」
「何てことをッ…!」
息子の口から酷い言葉が出てきてユエンは絶句する
「もう十分だろ」
そう言ってユエンの手を振りほどき車から出ていった。
研究室に戻ると、助手がカバンを持ってどこかに出掛けようとしていた。
「どこに行くんだ?」
「え、えーと。北京海因科技会社にちょっとな...」
「なら大丈夫だ。俺が行く。」
「は?い、いや。別にお前が行かなくても良いだろ?俺が行くよ。お前今忙しいだろ?こんな事は任せときなって」
ーーこいつ何か隠してるな。
当初、エンジニアを募集した時、部隊の中で資格があり志願してきた人は大体全てバイロインが採用した。
このプロジェクトに長いこと関わっていく為のパートナーとして相手を知っておく必要があったからだ。
だから、バイロインはこの男の考えている事くらい大体分かっていた。
「いや、やっぱり俺が行く。ちょうど帰りに病院に寄ってリュウチョウの見舞いも出来るしな。お前はパソコンのデータ整理をしておいてくれ。ごちゃついているから、綺麗に頼むな」
助手から返事は返ってこなかった。
「ンンッ!!」強く咳払いをした後に語気を強め「何かまずい事でもあるのか?」
バイロインが凄むと助手はパンッと動き出す
「い、いえ!何も問題ありません!」
「じゃ、行ってくる」
そう言いながら笑いながら助手の頭を叩いて研究室から出て行った。
エンは家の諸事情で一週間ほど休暇を取っていた。
ちょっと前まではいつも通りだったのに、エンが休んでからというものここ数日はグーハイも忙しかった。最近はいつも残業になる。
「.....エンは休めていいな」
そんな愚痴がぽろっと出てしまうほどには疲れていた。
午後の会議が終わると、エンから着信があった。
『社長、戻ってきました』
そう聞いて、グーハイはホッとする
「やっと帰ってきたか」
『一時的に戻ってきているだけです。またすぐに実家に帰ります』
エンの話し方から、何かいつもと違う様子が感じ取れる。
「何かあったのか?」
その瞬間、電話の向こうからすすりながら泣く声が聞こえてきた
『グーハイ、降りてきてもらってもいい...?今は会社の中に入りたくないの。入り口で待ってるわ。...話したいことがあるの』
「分かった!すぐ行く」
グーハイが急いで待ち合わせの場所まで駆けつけると、そこにいたエンは瞼と縁の間に涙の跡がついていた。
短い間しか離れていなかったが、その身体はやつれているように見えた。
「どうした?」
その言葉を言い終わるや否、エンは急にグーハイの元へ駆け寄り抱きついてきた。
その分厚い胸元に顔を押し付け、我慢していた涙は再度溢れ出す。
「母が....母が、末期の肺がんと診断されたの...!半年間しか生きられないとお医者様には言われたわ....」
想像より重たい内容にグーハイの表情は曇る。
「大丈夫だ。治療に専念したらいい。まずは、お母さんを海外の専門医に診てもらおう。海外の病院には知り合いが何人かいるから、手を回しておくさ」
エンは泣きじゃくり、頷くだけで話すことができなかった。
同時刻、バイロインの車もグーハイの会社に着いていた。
ドアを開けて車から降りると、そう遠くはないところでグーハイとエンが抱き合っている姿が目に入った。
頭では分かっていた。そういう人だと理解もしていた。なのに、やっぱり実際に目にするとどうしようもなくなる。
心が苦しくなって、まるでゆっくりと心臓が止まるようだった。
グーハイがエンの肩を優しく叩きながら慰めている時、後ろから忠告が聞こえてきた。
「会社の目の前でそんな事やっててもいいのか?お前も社長なんだし、少しはまわりの目を気にした方がいいんじゃないのか?」
その声が聞こえた瞬間、グーハイは硬直してしまった。
ゆっくりと声の主の方へ振り返って見ると、バイロインが手にあごを乗せながら車の窓から顔を覗かせ、興味深く二人を見ていた。
ーークソッ!最悪のタイミングだろ!
「なんでここに来た?」
そう言いながらバイロインの元に駆け寄る
バイロインは手に持っていた契約書をグーハイに渡し「サインをこれにお願いします」とだけ言い黙る。
「な、なら。執務室に行こう!そこでゆっくり話そう?な?」
「嫌だ。直接ここでサインしろよ。俺にはお前と話をしている暇はないからな」
そう言い終わるとグーハイにペンを差し出した。
エンが今この場に居なかったら、グーハイはきっとこの状況にテンパってしまっていただろう。
しかし、今この場には心を痛めて涙を流すエンがいるのだ。いつもの自分で振舞わなければならいない。
バイロインのいう通り、この場で契約書にサインをしてそのまま返す。返しながら、バイロインに近づき小声で話しかける
「なんで泣いているんですか?って聞けよ」
「......。なんでそちらの女性は泣いているんですか?」
グーハイは満足そうに頷くと、そのまま調子に乗る
「教えてやるよ。うちの会社にはいくらでも美人がいるから俺はいいけど。俺の兄であるお前がいつまでも独り身だっていうことを心配してな、あいつが涙を俺の代わりに流していたのさ」
その言葉を聞いてバイロインは、殺気のこもった視線でグーハイを刺す。
「.....黙れ」
帰り道、バイロインは契約書を眺めていた。自分の名前とあいつの名前は同じ欄に一緒に署名していた。
そこに記された二つの名前は、とてもよく似た字面で綴られていた。
契約書を助手席に投げ捨て、携帯電話を取る。
『何かしら?』
バイロインは深く息を吸い込む。
「あの娘の連絡先を教えて欲しい」
ユエンの沈んでいた声は、突然明るくなって興奮しだす。
『彼女に一度会ってくれるの!?よかった。よかったわ。すぐに連絡先を送るわね!もしあなたの都合が悪かったら、私の方から連絡入れておくから教えるのよ!』
息子との電話を切ったユエンは興奮して、グー・ウェイティンに電話をつなぐ
「あなた!インズの上司に一日休みを貰えるように手配してくれないかしら?!」
ウェイティンは少し不快感を示す
『軍人に休暇を与えるなんてそう簡単にはできないんだ。こっちの世界にはあまり口出ししないでくれ』
「違うの!だって、だって、インズがあの娘さんとお見合いをしてくれるって言ってくれたのよ!」
しばらく黙って考えていたウェイティンだったが
『分かった。.......このことはこっちで手配するからあとは気にするな』
そう話し終わって、携帯電話を机に置く。ユエンの口は嬉しさで開いたまましばらくの間ぼけっとしていた。
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今回は第11章!ここで全体の十分の一になりました!(長い道のりだぁ)
さて、内容なんですけど。まぁ、そんなところだろうと思っていました!
ハイロインはすれ違いが多いですからね!そんなことになんでなるんだよ〜って
タイミング悪すぎるでしょ!って思いますが、今回の件はどのような形で進んでいくんでしょうね!楽しみです!
:naruse
202004追記:加筆修正