第73章:本気の怒り
グーハイの会社に着くと、バイロインは真っ先に受付嬢の元に駆け寄る。
「すみません、ここの社長に会いに来たのですが...!」
「あ、バイロインさん。社長ですね、わかりました。」
そう言って受付嬢は直ぐに受話器を手に取り、耳にあてた。
「もしもし?」
内線はエンのデスクへと繋がったようだ。
『副社長。お客さまが社長にお会いしたいと...』
ーーー受付嬢からの内線、社長への来客...
エンは電話を終えると、その来客が誰なのかを瞬時に把握する。
「...お兄さんね」
前回。同じような内容で失態を犯したエンは、その教訓から何がなんでもグーハイへ伝えなくてはいけないと思い、直ぐに立ち上がると執務室へと駆け出した。
エンとの通話を終えた受付嬢は、目の前に立つ男性を待合室へと案内するために立ち上がる。
「社長はもうすぐ着きますので、あちらのソファーでお待ちいただけますでしょうか?」
バイロインはこの待ち時間を利用して、乱れた息を整える。
「ッン...フーー。はい、わかりました」
訓練された呼吸器官は瞬時に冷静さを取り戻す。しかし、その額からは大量の汗が滴り落ちていた。
「それと、こちらをどうぞ」
それを見ていた受付嬢は、そう言って用意していたタオルを手渡す。
「ああ、どうもありがとうございます」
礼儀正しくお礼を言うイケメン将校に、受付嬢はうっとりとした表情を浮かべていた。
執務室まで走って行ったエンがドアを開けると、トンがソファーで横になりながら雑誌を読んでいた。
「今度はまた、何の用ですか?」
トンが大きいため息を吐き出しながら尋ねてきたが、エンはそれを無視して奥の部屋の扉へと進む。
「ちょっと、何をしてるのですか?!」
そう言って急いで立ち上がったトンは、彼女の手首を握りしめ、ドアをノックしようとする手を強引に止めた。
「社長は今、仮眠をとっています。...急用でないなら遠慮してください」
「その急用があるの」
そう言ってトンの顔を睨みつけ、握られた手を振り解く。
「はぁ....。あのですね、今。社長は仮眠をしていると言いましたが?」
最後まで言葉を紡がなかったが、”それを邪魔するほどの急用など、エンには存在しない”と顔に書いてある。
「だから。たとえ仮眠をとっていたとしても伝えなければならないほど、重要なことがあるって言ってるの」
どこか虚な瞳で宙を見つめ、エンは少し苦い顔を浮かべる。
「...私は必ず彼を起こして、来客があるということを伝えなきゃならない。あの人が来たら、何があっても真っ先に伝えないといけないの!」
そう躍起になるエンを冷たい瞳で鎮めさせる。
「もっと現実味のある作り話を用意したらどうですか?」
「...作り話、ですって?」
エンはこれ以上彼に何を言っても意味がないことを悟る。
「グーハイ!バイ...ん!んん?!!!」
急にグーハイを起こそうと大声を出そうとしたエンの口を、慌てて塞ぐトン。
「気でも狂ったんですか!?」
エンは瞬時に自分の口を覆う大きな手にガブリと噛みつくと、驚いたトンは慌ててその手を彼女の顔から引き離す。
「きみッ...!!。....かつて、僕はこんな素敵な女性と会った事がないね」
たっぷりの皮肉を込めた棘を放つが、エンも「あら、奇遇ね。私もあなたのような素晴らしい男性とは出会った事がなかったの」と言い返してきた。
しばらくの沈黙を破るように、エンはポケットから携帯を取り出し、直接グーハイに電話しようと呼び出し欄を開く。
すると、彼の部屋から鳴るはずの呼び出し音は、トンのポケットの中から聞こえてきた。
「どうして?!」
ポケットからグーハイが使用しているスマートフォンを取り出すと、エンの目の前に掲げ、口元に冷たい笑みを浮かべる。
「そんな変なこと、...いきなりしないでください」
全てを妨害してくるトンに、エンの瞳は赤く染まり潤う。
しかし、しばらくするとその瞳は冷静さを取り戻し、次第に冷たい色味を帯びていった。
「そうね。ならいいわ。ずっと、ここで番犬の真似事でもしてなさい」
そう言う彼女の口元は、綺麗な弧を描いていた。
五分ほど待ったが、一向にグーハイが降りてくる様子がない。
時間に余裕がなかったバイロインは、再度フロントを訪ねる。
「あ!バイロインさん、大変申し訳ありません。社長は現在出払っているようで、お会いすることは難しいかと...」
「何かあったのですか?」
バイロインの整った表情から、怒りの感情が滲み出る。
「先ほどは大丈夫だとおっしゃっていませんでしたか?」
受付嬢は彼からの圧を耐えきれず、罪悪感を抱いた表情で、先程までとは比べ物にならないほど小さい声を出す。
「た、確かに先ほどは大丈夫だったのですが...!ですが、お待ちしていただいてる間に副社長から折り返しの連絡がありまして。とある事情で社長へと連絡がつかなかったと...」
「もう大丈夫です」
バイロインは彼女の話を最後まで聞くことなく、自分の携帯を取り出してグーハイの番号を呼び出していた。
何回か呼び出し音が鳴った後に、通話が繋がる。
『もしもし?』
電話越しから聞こえてきた声は、自分が想像していたものとは違った男性だった。
「グーハイはどこにいる?」
バイロインは、自分の恋人の電話に出た何者かに尋ねる。
『彼なら寝ているよ』
彼ーーならーー寝てーーいる..........
この言葉は冷たい氷の刃となって、彼に会いたいと熱くしていたバイロインの心に突き刺さり、大きな穴をつくった。
「そ、う」
バイロインが呻き声に近い返事を返すや否や、その通話は切られる。
しばらくその場で硬直していたバイロインは、ゆっくり彼が降りてくるはずだったエレベーターを見つめる。
筋肉で統制された腕が、その全ての機能を失ったように、だらんと力なく垂れ下がる。
ーーそう、か。
バイロインはゆっくりと、しかし大股で、会社を背にして歩いて行く。
車を走らせ軍に戻る途中、何を思ったのかバイロインは空いた窓の外へと、携帯を投げ出した。
携帯電話のケースが四分五裂し、尖った薄片が窓にぶつかって、鋭く耳障りな音を立てる。
そしてそのまま、車と電話は離れていった。
グーハイが目を覚ましたのは、先の出来事から三十分後のことだった。
「んぁ...」
手は習慣的に携帯を探し、バイロインから何か連絡がなかったかを確かめようとしたが、いくら探しても枕元にあるはずのものはなかった。
「なんだ?」
そう言ってあくびをしながら立ち上がり、扉を開ける。
執務室では、トンがタバコをくわえて、目を細めながら書類を見つめていた。
整った顔にはいくつかの愁色が漂っている。どうやら彼を不満にさせるものがたくさんある様子だった。
「...エンでも訪ねてきてたのか?」
グーハイがそう質問することで、トンは彼の存在に気付く。
「何度か来てましたけど、追い払っておきました」
書類から視線を逸らさないまま、質問に答えるトン。
「何か言ってたのか?」
「...くだらないことですよ」
そう言って顔を上げると、苦虫を潰した表情でグーハイを見つめる。
「今時、あのような態度の女性は酷いと思わないのですか?...正直言って、この会社にどっぷり浸かったロクでもないやつだと思います」
グーハイはトンのそばに座って、ゆっくりとタバコを口に咥える。
「俺がそんな女を置かないことくらい、わかるだろ?」
「...まぁ、知っていますけど」そう言って煙を吐き出す「ですが、彼女のような甘やかされて育った令嬢は、あなたにとって毒でしかない。」
その言葉を聞いて、グーハイは乾いた笑い声をあげる。
「ああ。そういえば」
思い出したように自分の胸ポケットからグーハイの携帯を取り出し、それを本人へと返す。
「なぜ俺の携帯をお前が?」
グーハイの質問に対して、模範解答を作っていたかのような速度で答える。
「僕には電話を止める義務があります。...ある女性が。寂しさに耐えられずに電話を掛け、あなたの睡眠を邪魔しないとも限りませんから」
トンの返事に軽く笑うと、頭をコツンと指で突く。
「俺のことをよく分かってるようだな!」
電話を受け取り通信記録を遡ると、そこにはバイロインからの通話記録が。
その瞬間、グーハイが先ほどまで浮かべていた笑みが一瞬にして凍った。
「おい。もしかして俺に電話があったのか?」
グーハイが尋ねると、トンは頷く。
「さっき、あなたが寝ていたときにありましたけど...」
グーハイの顔色が急変する。
「な、何を言ってたんだ?!!」
「特別な話でもなかったみたいですけど。...ああ、どこにいるのか?とか聞いていたような気がしますね。」
「それで、...なんて返事をしたんだ?」
寝起きとは思えないほどの焦り顔を浮かべる。
「”彼なら寝ているよ”とだけ、伝えました」
その言葉を聞いた瞬間。グーハイの逞しく太い眉毛が、もう少しで繋がるのではないかと思うほど、鋭く眉間に皺を寄せていた。
この件に関して怒鳴る余裕もなく、急いでバイロインに電話をかけたが繋がらない。
通話履歴を遡ると、バイロインから電話があった少し前にエンからも電話があったことに気づく。
「あいつ!!」
グーハイは携帯を握りしめ、大きな音を立てながら扉を開いて出ていった。
「エン!!!」
自分を訪ねてきたグーハイが目の前にいる。その事実に、瞳の底に淡い喜びが溢れる。
しかし、その喜びとは対照的に、しかし想像していた通りの冷たい声がかけられた。
「あいつが訪ねてきたんだよな?」
「そうね」
エンはこの瞬間を待っていたかのように笑みを浮かべる。
「あなたが寝ている間に来ていたわ。起こしに行ったのだけど、あの”トン”に邪魔をされてどうしようもなかったのよ」
エンは、トンという言葉をわざと強調して答える。
「お前は、二度も同じ失態を犯して。どうなっているんだ?」
しかし、その続きはエンが想像していたものとは違い、怒りに満ちた内容になった。
「...こんなことなら、この会社に副社長は二人もいらない。お前よりも優秀な奴が俺の側にいるべきだしな、そうだろ?」
その言葉を聞いた瞬間、エンは勢いよく立ち上がる。
「もう、もういいわよ!!!」
幼き頃より可愛い一人娘として育てられてきたエンは、誰にも怒られることなく、優秀な道を辿っていけるはずだった。
しかし、彼女にとってグーハイは、そんな輝かしい未来さえも犠牲にしてまで、尽くしてあげたいと思う存在になっていたのだ。
「あなたの事を想って、想って、想い続けて来たのに。そんな事を言うなんて...。もういいわ!こんな会社、私から願い下げよ!!!!」
エンの弾けた想いは、気が立っている今のグーハイにとって、火に油を注ぐようなものだった。
「この声量で俺起こしていたら、俺はとっくに目を覚ましていただろうな!それに、電話はどうした?なぜ俺が起きるまでかけなかった?!」
怒鳴られるエンの瞳は、すでに決壊寸前だった。
「電話?電話なら誰が持っていたのか、起きた時にあなたも確認したでしょう?!なんなのよ!!!もう勝手にして!!!!」
そう言い切り、エンはその場にしゃがんで顔を膝に埋める。その肩はひどく震えていた。
「もう、いい」
そう言い残し、グーハイはその場を後にした。
グーハイが扉を開くや否や、トンはため息混じりに冗談を口にする。
「はぁ。あなたから二人の付き合いの機会を減らして欲しいとお願いしてきたのに、なぜまた自分から彼女のオフィスに行ったんですか...」
トンはまだ事の深刻さに気づいていない様子だった。
グーハイは、急いでバイロインを探しに行った後に話をつけようと考えていた。しかし、このセリフが沸点を突き破る原因となり、感情のままにトンの襟を大きな手で掴み上げた。
「なぜエンを通さなかった!!?」
トンはこの状況に戸惑いながらも、冷静に返事をする。
「は、離れさせてほしいと言ってませんでしたか?」
普通の人なら早いうちに泣き出してしまうほどの眼力でトンを睨みつけると、額をガンと合わせては低く唸る。
「お前はまだ、グーヤンの味方だったんだな...!」
グーハイは急いで部隊に駆けつけバイロインの部屋へと辿り着いたが、ドアは鍵がかかっていた。
「インズ!!」
彼は合鍵でドアを開けたが、中ががらんとしていて、荷物としておいてあったスーツケースがなくなっていた。
「... ....。」
グーハイは一瞬で心を入れ替え、彼の身体能力をフルで生かした走りで伝達室に向かったが、そこでもバイロインに会うことは叶わなかった。
「あ、グーハイさん!」
そこにいた将校は、グーハイを見て挨拶をする。
「バイ隊長に会いにきたのですか?それなら惜しかったですね!もう三十分も早くついてたら、最後まで出発を渋っていた隊長と会えたかもしれなかったんですけど」
その言葉を聞いたグーハイの心が、どれだけ締め付けられたかは言うまでもない。
ーーあいつはきっと、臨時に知らせを受けたに違いない...
自分に会うために急いで会社に駆けつけたが、結局。自分は寝ていたのだ。
ーーーしまいには、俺の声を聞こうと掛けた電話から他の男の声が聞こえたってわけか...。
グーハイは、バイロインがどんな表情で会社を去り、訓練へと向かったか。容易に想像することができた。
「インズ....。」
重い足取りでバイロインの部屋に戻ると、目の前には昨夜の痕跡があった。
ベッドの下の本は几帳面に並んでおり、どの本にもバイロインが読んだであろう跡が窺える。
ーー俺と会えないまま。そのまま行ってしまった。
最後の挨拶もできず、最後の食事もできず、最後の愚痴すらも言えなかった。
これからは冷たい布団で寝て、合わない食事を我慢をして、夜遅くまで厳しい訓練を行うであろうバイロインを想像し、グーハイは言葉にできない苦しみを覚えた。
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:naruse