第76章:愛されるということ
グーハイは応接室でずっと待っていたが、返事はいつも同じもので、最後まで彼に会えることはなかった。
「...くそ」
無機質な時計の針が、ゆっくりと音を立てて聞こえてくる。
自分がどれだけ深い傷を負わせてたかを理解するには、十分すぎるほどの時間だった。
「皆が寝静まった後なら、ゆっくりとお話しする時間があるかもしれません」
どこかを眺めるグーハイの耳には届かない。
その視線は遠くない食堂の3階、角の位置に座って食事をするバイロインを捉えていた。
何を食べているのかまでは分からないが、大きくスプーンにとって食べ物を口に運び、それを苦しそうに飲み込む様子がしっかりと見える。
ーーうまいものじゃないだろうに...
約三百メートルの距離。しかし、その距離でもグーハイははっきりとバイロインの心の中の苦しみを感じることが出来る。
ーーああ、今すぐ抱きしめに行きたい。
抱きしめに行って、世話をして。美味しい食べ物を沢山食べさせて、謝りたい。そんな気持ちだけが膨れ上がる。
「グーハイさん、これ以上中へ入ってはいけません。」
彼を想うあまり、無意識のうちに足が施設内へと向かっていたようだ。
「私たちを困らせないでください」
「あ、ああ...」
銃を構える門兵に忠告され、よたよたと数歩後ろにさがる。
ーーインズ。お前はもう、俺に会いたくないのかよ...?
バイロインは、ガラス越しにグーハイの車が去っていくのを眺めていた。
口に含む饅頭が、なぜだか少し塩っぱい。
「ここの食事はどうだ?」
口に含んだものを中々飲み込まず、外を眺めているだけのバイロインに目を細めてみる。
バイロインは一瞬で我に返ると少し目尻を拭き、ただ淡々と「まぁ」と返事をした。
全然箸の進まない様子と今の返事を照らし合わせ、グーウェイティンの目尻は余計に皺が深くなっていた。
「ならどうして料理を食べないんだ。...ほら、冷めてしまうぞ」
その言葉を受けて口に含んだままの濡れた饅頭を喉に押し込むと、怒ったように箸を握り締めて次に手を伸ばす。
実のところ、操縦桿を長い間握っていたバイロインの両腕は、もう正常に箸を持つことができないほど疲弊していた。
その為、ここ数日は別の簡単な食べ物ばかりを口にしており、今回の料理はグーウェイティンに舐められないよう良いものを揃えただけだった。
「あなたもどうぞ。ここから帰るのには何時間もかかるので、お腹が空きますよ」
そう言って、なんとか自分の弱みを隠そうとお皿を指で押す。
「...ああ」
グーウェイティンはお皿を受け取りながら傷だらけの男を見つめる。
ーー入隊してから、もう九年になるのか。
この九年間、グーウェイティンは彼から多くの驚きを与えられてきた。
ユエンと結婚してから長い間、バイロインは自分の為より誰かのために動いてるように見えていた。そうは言っても、入隊してから暫くは会うこともなかったため、バイロインの全てを知っているわけではない。
しかし、こうして目の前でボロボロになりながら自己犠牲を一貫する若者を見ていると、冷酷なグーウェイティンと言えど心にくるものがあった。
それが、義理でも自分の息子であるなら尚更だ。
バイロインは震える箸でお肉を挟み、義父のお皿へと差し出す。自分は手元にある饅頭を口に運び、何かに耐えるように下を向いていた。
今、バイロインの心はここになく、食事は生命維持のための機械的動作であり、旨味などは一切感じ取れない。
グーウェイティンは自分に渡されたお肉を頬張るが、目の前のバイロインを見ていると食べ辛らさを覚える。
「ほら」
グーハイが去った悲しみに浸っていたバイロインの目の前に、突然箸が伸びてきた。
「食べなさい」
グーウェイティンが優しく接することなど、滅多にない。
目の前で行われた行為に愕然するも、次第に唇が震え始める。そして、堪えるように目線を下げた。
普通の兵士であれば、上官から食事を分け与えられたという意味で感動するだろう。
しかし、いまのバイロインにとっては”父”としての優しさに触れていた。
九年前、グーハイが交通事故を起こしてから自分に恨みを抱いていると思っていた義父からの父親らしい行為。
「ほら、遠慮しないで」
そう言ってバイロインの口元に運ぶのは、彼が箸を持てないほど疲弊してることを見抜いていたからだった。
「... ...。」
グーハイから何度も口に料理を運んでもらったことはあるが、どんなに嬉しいことがあっても涙を流すことはなかった。
しかし、今のバイロインは必死に感情を殺そうと肩を振るわせている。
もう九年前の心理状態ではない。
様々な苦難を受け入れてきたバイロインは、自分が負う責任を十分に理解していた。そして、その責任を認められ、もう無理をしなくていいと言われる事を強く望んでいる自分がいることにも気づいていたのだ。
「あり...がとう、ございます」
漏れる吐息の隙間から絞り出す言葉と同時に、光る一粒の涙が零れ落ちた。
そしてその涙は、帰った後もグーウェイティンの脳裏から離れなかった。
夜の訓練が終わって寮に帰ると、バイロインはベッドの布団がなくなったことに気づいた。
「なんなんだ?」
頭を掻いていると、後ろからドアを叩く音がする。
「隊長、入ってもいいですか?」
聞こえてきたのは、リュウチョウの声。
「何か用か?」
バイロインの声を確認して部屋に入ってきたリュウチョウの肩には、さっきまで探していた自分の布団が抱えられている。
「それ、俺の布団だろ?」
そう尋ねられ、リュウチョウは笑みを浮かべる。
「布団が湿っぽいの気付いてました?最近ずっと雨が降ってたんで、なんだかカビ臭かったんですよ」
そう言って布団をおろす。
「今日はよく晴れていたんで、自分のを干すついでに隊長のも干しておいたんです!...だって、バイ隊長はご自身でそんなことしないじゃないですか」
「俺によくして、取り入るつもりか?」
バイロインは口元に笑みを浮かべた。
「お前がそんなことをしてくれても、俺は何もできないって言うの...」
「少し。...お聞きしてもよろしいでしょうか」
話を途中で遮ってきた部下は、真剣な眼差しをしていた。
「...お前が聞きたいことくらい、わかってる」
リュウチョウとは長い付き合いだ。これ以上隠しても無駄だということくらい理解していた。
「ああ、俺とグーハイは恋人関係だよ」
心の準備をしてきたつもりだったが、想像以上の衝撃でリュウチョウは震えが止まらない。
「どうした。驚いてるのか?」
バイロインは軽い口調で聞いてくる。
「い、いえ!」
リュウチョウは急いで首を横に振った。
「じ、実は。この前、自宅の方へお伺いした際に縛られていた隊長を見て、何となくそんな関係なのかと推察していました。...すみません!」
「はは、別にいいさ」
「そ、それよりも。なぜ私がお二人に話しかけると、グーハイさんは私のことを毛嫌いして隊長から遠ざけようとしてくるのですか?」
ーーやっぱり気付いていたか
バイロインは心の中で笑い声を上げる。
「実は、隊長!自分もあなたに好意を抱いてた時期がありました!...ですが、それは心配からくるものというか、なんというべきか。少なくとも、グーハイさんと同じような感情ではないことは確かです!...畏怖するべきというか、尊敬の度合いが越してスターのように縋っていたのかもしれません。」
いつも短い言葉で、短い返事で自分に従ってきたリュウチョウだからか。バイロインは初めて部下の口から論理的でしっかりとした台詞を耳にした。
「もういいって。...そんなくだらないことで悩んでないで、訓練に励むんだ。そして出世でもしたら、女なんて選び放題だろ?」
そういうバイロインの事を不思議そうな目で見つめるリュウチョウ。
「隊長こそ、こんなにかっこよくて、条件が揃ってる男なのに。...どうして男性と一緒になろうと思ったのですか?」
「俺のどこに条件の良さを感じんだよ」
バイロインは顔をくしゃりとする。
「軍人と結婚したい一般人なんて特殊だろ。例え結婚したところで、家で会えるのは年に数回あるかないかくらいだし。訓練で出張したら、毎回健康を報告するんだろ?考えただけで面倒だ」
「そう...ですね」
リュウチョウは思わず納得する。
「でも、その話を聞くと余計なぜだかわからなくなりました」
素直な反応に思わず笑ってしまう。
「別に特別な事じゃない。ただ、二人して泥舟に乗ったからもう降りられないだけさ」
「それでも、なんて言うんでしょうか。お二人が一緒にいる場面を想像できないというか、似合わないですね」
グーハイとはいつも喧嘩ばかりしてるバイロインだが、リュウチョウの言葉を聞いて心が急に騒めき立つ。
「に、似合わないって、なんだ?」
それはー、と考えるように口を開く。
「男が男と一緒にいても、陽と陰は満たされないじゃないですか。それに、お二人はすごく男らしいし、どちらが女性のように振る舞うんですか?」
「はあ?」
想像していたこととは違ってひどい内容で話してきたリュウチョウの両肩を強く掴む。
「それは...、お前が心配する必要があるのか?」
強い語気でいつものように低く唸る上官だが、その影に脆弱性を感じる。
その様子を見て、いつもは従順な部下なリュウチョウの心にも悪魔の感情が芽生え始めていた。
「隊長?...あの時は興奮していたんですか?」
ニヤニヤとするリュウチョウとは対照的に、顔を暗くしていくバイロイン。
「関係ないだろ...!」
「じゃあ! どちらが下で、どちらが上ですか?!」
水を得た魚のように笑みを深めるリウチョウ。その顔は、バイロインに絞められているせいか、笑っているせいか真っ赤に染まっている。
「調子に乗るなよ!」
バイロインは誤魔化すように口を開くが、その一言でグーハイに善くしてもらっていると悟らせることにも繋がった。
「あぁ、隊長が...」
リュウチョウはどこか納得できない表情でを浮かべる。
「下で受け入れるなんて苦しくないんですか?...その、なんて言うか。彼が攻めているのを想像するとゾッとするというか...」
リュウチョウの話した内容を受けて、ハッとする。
「お前、...見てたのか?」
「いや!故意ではないです!...ただチラッと、チラーッと見えただけで」
そう言いながら両手を顔の前にかざし、長い指の間を開いてはその隙間から凛々しい瞳を覗かせる。
「はぁ、もういい。お前と話してたらキリがない!」
さっさと帰れと手を振り、リュウチョウの背中を押し出す。
「あ、まってください!」
部屋から追い出される寸前に、バイロインの方を振り向いて指を立てる。
「最後に、もう一つだけ質問をしてもいいですか?」
「....なんだよ」
先ほどまでとは打って変わり、いつもの真面目な表情に戻るリュウチョウ。
「二人は結婚するつもりですか?」
その質問に言葉が詰まり、黙り込んでしまうバイロイン。
しばらく下を向いて考えた後に、落ち着いた表情でゆっくりと顔を上げる。
「結婚か?...そうだな。この関係が続くなら、な」
そう言うバイロインの顔は、この訓練地に来てから一番優しい表情をしていた。
「そうですか。...そうなるといいですね!」
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あーー、今回は大分意訳というか、僕の解釈が入ってます。
分かりやすくするために加筆してしまうのが僕なので、正しい翻訳ではないことをご了承ください!そして、誤字脱字があれば、Twitterの方で指摘お願いします!
今回は告白をする章でしたね!!
いや〜〜、早くグーハイと抱き合って欲しいっ!笑
コメント全部見ています!本当に嬉しいです!ありがとうございます!
:naruse