第128章:お前だけに辛い思いはさせない
しばらくしてから医者が駆けつけてきた。彼は海外に何年も留学したことのある外科医だった。医師としての経験が豊富だったが、バイロインのような状態の患者はさすがに見たことがなかった。濃い眉に皺を寄せ、血走ったような表情をしている。
バイロインの傷口を見てから、グーハイのことを見て、また傷口を見て、グーハイに再び目を向ける。そして黙り込む。そんな医師に対してグーハイが急かす。
「なぁ、先生!こいつの状態はどうなんだよ!?」
「あ…あぁ。心配しなくて構わないよ。これは皮膚の外傷だね」
グーハイは心が落ち着かず、依然として食い気味に聞く。
「もしかして…後遺症が残ったりしないよな?」
「これは…」
医者は困ったように言う。
「”こんなこと”は二度としないこと。いいね?」
医者が言いたかったのは、もう二度とこんな”乱暴な”ことをするなという意味なのだが、グーハイは別の意味でとらえていた。二度とバイロインと“愛の営み”をすることが叶わないと思い込み、顔色が一瞬で暗くなるが、それでも今はそんなことを心配している場合ではない。バイロインの怪我はとても酷く、一刻でも早く彼を治す方法を知りたかった。
「なぁ、どうして皮膚の外傷で気絶したんだ!?」
医者はグーハイの心配する様子に同情していた。ため息をついて答える。
「どうして気絶したかって?…そりゃあ”痛み”でだよ」
グーハイはそれを聞いて一気に顔が真っ青になる。
「そ…そんなに痛かったのか…?」
医者は丁寧にグーハイに説明する。
「肛門の周辺組織は末梢神経が密集しているんだ。そしてそれは痛覚繊維を持つ脊椎神経からできていて、最も痛みに敏感なんだよ。一度、病院に行って痔の手術の現場を見てみるといい。君みたいな丈夫そうな大のおとなたちが皆痛みで泣きじゃくっているから。別に君のことを驚かしたくて言っているわけじゃないよ。でもこの痛みは人間の許容範囲を超えているんだ」
そう説明をして医者がグーハイのほうに目を向けると、彼は顔をこわばらせながら必死に時間を計算していた。
ーー俺はどれぐらいの時間やってたんだ…?二十分?三十分?それとも一時間か…?
記憶の中のバイロインのあの痛みに歪んだ表情を思い出すと、グーハイは自分を恨まずにはいられなくなり、自分自身をバラバラに切り裂いてやりたくなる。
「とりあえず彼を押さえておいて。まずは傷の治療が優先だよ」
と医者が言った。
グーハイはとりあえず気を取り直して手を洗いに行く。そして戻ってきて医者の指示に従う。医者はゆっくりとバイロインの傷口の状態を観察する。医者は深刻そうな表情をしており、グーハイはとてもじゃないが見ていられなかった。
「もし彼が動き始めたら、腸に傷がつかないようしっかりと押さえておいてね」
グーハイは顔色を変えて質問する。
「お、おい…気絶してるっていうのにどうして動くんだよ!?」
医者はなだめるようにグーハイに答える。
「痛みで目を覚ます可能性があるんだ」
そう言って、実際に医者が器具を肛門に挿入し、腸の内壁を消毒しようとしたらバイロインの体が激しく動き出した。目は閉じているが拳を握りしめ、顔色は苦痛に歪み、額にはびっしりと汗をかいている。
グーハイは心が痛くて痛くて堪らなくなり、思わず医者に向かって叫び出す。
「おい!もっと優しくできないのかよ!?傷を治しにきたのか人を殺しにきたのかどっちだよ!?」
医師として経験が豊かな医者はこの無知なチンピラに叱られて顔をしかめる。
「たとえ別の医者が彼を治療するとしても同じことをするはずだよ。もしこれで良くならなければすぐ別の医者に変えてもらって構わない」
バイロインは脱力して再び気絶した。
グーハイはひるみながらもバイロインのことを見て、再びしっかりと押さえて医者を見る。
医者は同じ手順で消毒を合計五回行う。できるだけ痛みが少なくなるように優しく施術した。それでも毎回バイロインは激痛のあまり、意識のないまま体をよじり、暴れだした。グーハイはただ押さえつけることしかできない。たとえ嫌でも押さえていなければならない。気絶しては目覚めて、気絶してはまた目覚めてを医者がもう大丈夫と言うまでひたすら繰り返した。
まるで煉獄での苦しみを経験しているかのようだった。
グーハイは涙を我慢することができず、こぼれた涙が汗と混ざる。
ーーこんなにもこいつのことが心配なのに…見ていることしかできないのかよ…
医者はグーハイに目をやる。
ーーこの子、見た目はこんなにも頑丈そうに見えるのに、どうしてこんなに脆いんだ?確かに酷いケガだが死ぬわけじゃないんだぞ?
と心の中でやじる。尋常じゃないほどにグーハイは泣いているのだ。
ーーそうなるんだったら最初からやらなければよかったのに…
そして医師は見かねて言う。
「先ほどは少し大げさに言ったんだ。君に一つ教訓を与える。この子は今弱っていて痛みに対して敏感になってはいるが、死ぬことはないので安心しなさい。君、これに懲りてしっかり学習するんだよ」
話を終えてバイロインに注射を打つ。そしてグーハイに対してさらにバイロインについて念を押す。
「これから数日間食事はさせないこと。腸の内壁の損傷がまだ酷くて排便をすると菌に感染してしまうかも知れない。栄養剤の点滴で彼に必要なエネルギーは補えるから他の物は絶対に口にさせないこと。良いね?」
グーハイは少しホッとして苦笑いしながら頷いた。
しばらくしてから看護師が薬を届けてくれた。飲み薬と塗り薬両方ともあり、具体的な服用方法は薬箱に全て書いてある。医者はグーハイに自分の連絡先を渡し、もしバイロインに異変があれば連絡するよう伝え、後のことを看護師に任せて急いで他の場所に向かっていった。
バイロインの栄養剤の点滴が終わり、看護師は帰ろうとしているとグーハイはバイロインに熱があることに気づき、看護師を呼び止める。看護師が実際に熱を測るとかなりの高熱が出ていたため、すぐに医者に電話して戻ってきてもらった。
医者はバイロインに解熱剤を注射する。そしてグーハイに対して、
「解熱剤を打ったから、この子が風邪をひかないようにしっかり温めてあげるんだよ」そう言ってまた去っていった。
それからずっとグーハイは何も着ていない状態でバイロインを直接しっかりと抱きしめてベッドで横になっていた。こうすることでバイロインの体温を直で感じることができ、布団の中の温度も上げることができる。さらに分厚い布団を二枚重ねてかけていた。しかし部屋の温度がもともと高いため、グーハイとバイロインの体は汗でびしょ濡れになってしまった。
夜遅くまで暑さに耐えながら抱きしめ続け、グーハイはやっとバイロインの熱がだんだん下がってきたと感じた。
朝になり、グーハイは新しいシーツと布団を持ってきて汗で湿ったものと交換した。
医者が診察のために来て、二言三言、言いつけて出ていく。看護師はバイロインの点滴が終わるのか確認してから出て行った。
昼になり、バイロインがようやく目を覚ます。
彼が目を覚ますまでグーハイは片時も目を離さずにずっと傍で見守っていた。心の中では早く目を覚ましてほしいと思っていたが、同時に彼が目を開くことを怯えていた。自分がやってしまった行いを償える自信がなく、目を覚ましたらすぐにでもこの場を去ってしまうのではないか恐れていた。
バイロインはあまり感覚がなかったが、目が覚めたときにまず痛みを感じた。
ーー…んっ?なんでこんなに身体中が痛いんだ?
頭から足にかけて、皮膚から骨のすき間まで、全身の至るところで痛みを感じる。
この二十時間以上、まるで生まれ変わったかのようだ。
気を失う前のいくつかの断片的なシーンをバイロインは思い出す勇気がなく、悪夢であれと思っている。しかし、今横にはその悪夢の主がいて、血走った目でバイロインのことを見ている。
「…起きたか?その…調子はどうだ?」
そう言ってグーハイはバイロインの肩を触ろうとした。
「触るな!」
反射的にバイロインは叫ぶ。誰かが自分に触ることを嫌だった。体全体に傷があり、もし触られでもしたらきっと激痛が走るだろう。しかし、大声を出したせいで顔の神経が痛みを訴えてくる。ベッドに横になりながらずっとグーハイに顔を向けていると首が痛くなってくる。なんとか力を振り絞って向きを変えたが、そのせいで頭がガンガンする。
グーハイはバイロインが口を開いて自分のことを制止して顔をそっぽに向けるまでの間、バイロインの細かい動き一つ一つを集中して見ていた。
バイロインがこのような方法で自分に対して敵意と嫌悪を表しているのだとグーハイは知っていた。
覚悟こそしていたが、この場面が実際に自分の目の前に現れた時、グーハイは苦しさのあまり心臓が歪んでしまうかと思った。
「バイロイン…俺はわかってるんだ。お前の目の前からいなくなって欲しいんだろ?俺は本当に後悔しているんだ。お前には自分の好きな人を選ぶ権利がある。俺のことを苦しめる権利がある。留学に行く権利だって…でも俺は絶対に間違っていない自信がある。できることならお前に留学しないでほしい。もしお前をこんな目に遭わせてしまうと分かっていたら、自分のことを殴り殺してでも自分を止めていた…こんなことになるくらいだったら、あの女にお前が騙されていたほうがまだマシだったのに……」
「お前の身体が良くなって、もし窓から俺のこと蹴り落としたくなったらそうしてもらっても構わない。でも少しだけ待ってくれないか?今お前を独りにしたら誰も怪我の面倒を見れなくなるだろ…?」
「俺はあの女の前でお前のプライドをぶち壊したんだ…絶対に許せないよな。傷口をえぐるような真似はしたくない。でもな、気にしなくても大丈夫なんだ。あんな自分さえ粗末にしてしまうような女、プライドも何もないだろ?別に自分を正当化するわけじゃない。でもお前があいつのことを諦められなくなるのが心配で仕方ないんだ…」
「インズ、お前の傷が治ったら俺のことをナイフでメッタ刺しにしてくれたって構わない…」
延々と長い話が続き、ついにバイロインは耐え切れず口を開く。
「…もう静かにしてもらっていいか?」
バイロインは全身がだるく、精神的にも疲れている。今は特に静かにしていてほしいのだ。しかし、たとえグーハイのことを殴りつけたとしてもずっとそばを離れないことは明白だ。バイロインの体の痛みは思考することさえ億劫になるほどで、話を聞く気力が残っていなかった。
「…なんで何も言ってくれないんだ?」
グーハイは頑なに質問する。
バイロインは最後の力を振り絞り答える。
「…うるさい」
グーハイはこれ以上喋るのをやめ、隣でそっと横になりバイロインのことを静かに見つめ続けた。
バイロインは気づくと寝ていた。目を覚ますと二時間ほど経っていた。少しはマシになったが、体はまだ痛いままだ。
バイロインが目を覚ましたのを見て、グーハイは自らベッドから出て窓のほうまで歩いてく。グーハイはバイロインが首が痛くて動かせず、凝ってしまっていないか心配している。しかし当のバイロインは特に気にしていなかった。今の彼の行動はすべて考えではなく感覚に任せ本能的に動いているだけだ。
「…腹減った」バイロインがつぶやいた。
グーハイはぼーっとしていた。バイロインが自分に話しかけているのを聞いて思わずあっけにとられる。驚いた表情で振り向く。
「悪い…今なんて言ったんだ?」
バイロインは尋ねる。
「何か…食べる物はあるか?」
グーハイの顔からどんどん笑みが消えて、悲哀が漂う。
ーーせっかく話しかけてくれた…せっかくお願いしてきてくれた…せっかくこいつが話すきっかけをくれたのに…よりによって食べ物かよ…!
「なぁ…ないのか?」バイロインはキョトンとした顔をして唇を舐める。
グーハイはそんなバイロインの顔を見ることに耐えきれず背を向ける。
「…医者がしばらくは食事はダメだって言ってたんだ」
「そうか…食べられないのか…」
バイロインは残念そうにつぶやいた。グーハイは慰めるように話す。
「でも安心してくれ。お前だけに我慢はさせない。俺も付き合うから。一緒に栄養剤を使おうぜ。お前が食事できるようになるまで、俺も何も食べないからな」
バイロインはグーハイの”イカれた宣言”になんて言い返そうかと考えている間にグーハイは部屋にある食糧を全てかき集めて窓から外に放り投げた。
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お腹が空いてきょとん顔のバイロイン余裕で想像できて、それを見たグーハイの気持ちも表情も余裕で想像できて…ぴえん
:hikaru