第133章:安らぎ
二人は元宵を食べた後、散らかり放題の部屋をある程度片づけてからお風呂に入った。そしてベッドに入る頃には十二時を回っていた。
「もう一年が終わるのか…マジで早いな」
グーハイはしみじみとつぶやいた。
バイロインはグーハイの隣で腹ばいになっている。枕を抱え、そこにあごを乗せてグーハイのことを見ながら目を細めている。この落ち着いた時間を楽しんでいるようだ。
部屋にはこの二人しかいない。瞳の中にはお互いの姿が映っている。耳にはお互いの声しか入ってこない。まるで今、世界には二人以外は何も存在しないかのようだ。
グーハイはバイロインの首筋に手を置いている。彼の力強い血管の鼓動を感じ、心の中はなんとも言えない心地良さを感じている。それはまるでヘロイン中毒の人が何日間も薬を断って、やっと久しぶりに静脈へと一本の液体が注入されたかのようだ。
はっきりとした快感が血液に乗って全身の血管を巡り、骨の隅々まで心地の良い感覚が染み渡る。
バイロインは目を細めてグーハイを眺めている。グーハイはしばらく見ないうちに、少し痩せてあごがシュッとしていた。そしてその横顔は輪郭がクッキリとしている。
「お前、髭剃らないのか?」
それを聞いたグーハイは荒れた指で自分のあごを触った。すると、とげとげした感触がした。しばらく髭を剃っておらず、最後にいつ剃ったのかも思い出せない。ましてや前回いつ顔を洗ったのかさえも覚えていない。
「なぁ、髭があったほうが男前だろ?」グーハイは自身の怠惰をこう言い訳した。
バイロインは吹き出す。そしてなんとか笑いを我慢しながら話す。
「他の人が髭を伸ばすなら確かに…カッコいいかもしれないけど…お前…やめておいたほうがいいぞ…元々老けてるし…」
それを聞いてグーハイはムッとする。
「おい!お前はなんでいつも俺のこと老けてるって言うんだ?どのあたりが老けてるって言うんだよ?」
「…全部」
それに対してグーハイは歯を食いしばり、なんとかバイロインの体の欠点を探して反撃しようと思った。しかしバイロインはケアをしっかりしているし、グーハイにとってバイロインに欠点など無いため言い返すことができない。
バイロインは起き上がって洗面所に向かった。そしてちょっとすると彼の腕にはタオルが掛けて戻ってきた。
「ここに寝て」とバイロインはツインソファを指さす。
グーハイが上半身を起こして質問する。
「何をするんだ?」
バイロインは手に持っている髭剃りを揺らす。これから何が行われるかはこれで明白だ。
グーハイはバイロインをじっと見つめる。そしてハッと気づいて顔にゆっくりと顔全体に染み渡るように笑顔を作る。そして素直にソファーに横になった。
以前はグーハイがバイロインを足のお風呂で丁寧に洗って、バイロインの髭を剃っていたというのに、今は逆にバイロインがグーハイの髭を剃ってくれるということに喜びを隠せないでいる。
バイロインに帰ってきてほしいとグーハイは天に向かって数えきれないほど祈っていた。そして帰ってきてくれただけでも満足しているというのに、バイロインが自分に対してこんなに良くしてくれたらもう、グーハイは嬉しさのあまり気絶してしまいそうだった。
バイロインはグーハイの口角が耳たぶまで届きそうなほど伸びてニッコリしているのを見てグーハイの考えていることが分かった。
本当はタオルでグーハイの顔を濡らしたかったが、これ以上はグーハイがつげ上がると思い、グーハイに自分で顔を濡らさせることにした。
グーハイの顔にタオルを置いて、洗面所にシェービングクリームを取りに行く。
そして戻ってきて、シェービングクリームを少し手に取り、顔全体に伸ばして髭が柔らかくなるのを待つ。
グーハイは目を開けている。目と鼻の先にはバイロインの顔がある。
最初は少し離れていたが髭剃りを始めると顔同士の距離は一気に近くなる。バイロインの口の中の熱気が剃られたばかりの皮膚に触れるのを感じる。バイロインはすごく真面目な表情をしている。とても慎重に髭を剃っており、どうやら他の人の髭を剃るのは初めてのようだ。
グーハイの手が自然とバイロインの頬の近くに伸びていく。バイロインが避けて言う。
「おい、動くな」
それを聞いてグーハイの手が止まる。バイロインが髭を剃り終えて動きを止めると、突然グーハイの手がバイロインの後頭部を押さえてバイロインの顔をグーハイの頬に押し付けてきた。
シェービングクリームの淡いムスクの香りがバイロインの鼻孔をくすぐり、意識が少し薄れる。しかし無理な姿勢を取っているためキツくなりグーハイの大きな手の拘束からなんとか抜け出す。
「剃り終わったら拭けよな…拭かないと気持ち悪いだろ」
グーハイの目には赤黒い炎が煌めいており、かすれた低い声で話し出す。
「いや、いい…もう我慢できねぇ」
そういい終えるとバイロインの体を強く引き寄せる。急に引っ張られたせいでバイロインは足を滑らせて体同士が強くぶつかる。そしてバイロインがあっけにとられている間にグーハイはバイロインの顔を優しく両手で抱えてキスをした。
二人のキスはまるで何日間も母乳を与えられなかった乳児のようで、やっと母の乳房を見つけたかのように思わず必死になって噛むようにとても激しく、お互いの唾液が口の中で混ざり合い溶けていく。それはずっと心の中で欲していたとても懐かしい味だった。舌の先が絡み合い、口の中で音を立てる。お互いの両手が求め合うように重なり強く握り合う。
”別れ”ーそれは苦痛であり確かに人を苦しめるが、別れが無ければ永遠にお互いの感情の濃度も分からない。
””結局、俺はこいつがいないとダメなんだ。こいつじゃないとダメなんだ””
お互いが不在だった二人の孤独な夜、いつも冷たい布団の中でどれだけお互いのことを求めているか、ようやく気づいたのだ。
バイロインの動きが次第に止まると、ゆっくりとグーハイの顔から自分の顔を離す。グーハイの肩を枕にして静かに呼吸をする。目は真っすぐグーハイの喉仏の動きを見つめている。
グーハイが身体を起こして、怒ったふりをしながらバイロインのことを見つめる。眉を軽く持ち上げ、今まで溜めてきた不満を一気にぶつける。
「バイロイン…この一か月間、お前のせいで俺は苦しくて死にそうだったんだぞ!」
バイロインはこのお門違いな責任追及に対して、穏やかで優しい顔が一気に怒りの表情へと変わる。
「お前…よくそんなこと言えるな…!こうなったのは一体誰のせいだよ!?」
グーハイは何とかして言い逃れをする術を見つけるために考えを巡らせたが、結局見つけることができず認めざるを得なかった。
「…俺だな」
バイロインはうめき声をあげて、グーハイの胸に二発強めにお見舞いする。グーハイはバイロインの手を握り、自分の口元まで引っ張りキスをする。心境としては複雑だ。
「なぁ、俺が悪いっていうのはわかるけどさ…あんなに厳しくしなくてもいいだろ?俺が別れるって言ったらすぐ別の奴と街に出掛けてよぉ…一か月間お前はちっとも辛くなかったのかよ?」
バイロインは自分の手をグーハイから引き抜き、立ち上がる。
「辛くてもお前にそんな姿見せられるかよ!!」
それを聞いてグーハイも立ち上がり後ろからバイロインを包み込む。あごをバイロインの肩に乗せてニヤニヤしながらつぶやく。
「なぁ…どう辛かったんだ?俺に教えてくれよ」
「何が言いたいんだ?」バイロインは腹を立てている。
グーハイはバイロインの首筋に唇をこすりつける。そして小声で言う。
「なぁ…いいだろ?教えろよぉ」
「お前はいつもそうやって人が嫌がっている姿を見て楽しんで…お前のそういうところが嫌いなんだよ!」
バイロインはそう言ってからまた先ほどの話題に触れる。
「お前、俺のせいだって言ったよな?俺のこと酷い奴だって言ったよな?じゃあ軍人二人使って俺のことボコボコにしたお前はどんなに酷い奴なんだ!」
いつも自分に対して一番気にかけてくるグーハイのような人が少し誤解しただけで自分をボコボコにするように命令するなんて信じることができなかった。バイロインはこのことを思い出すだけで頭が沸騰しそうになった。
グーハイはすぐさま勢いよくその場で正座をする。真剣な眼差しでバイロインを見つめる。
「それについてちゃんと説明させてくれ。俺が喫茶店にあの二人を送ったのは間違いないんだ。でもお前のことを殴れなんて命令はしてない、誓ってもいい…ただ…あの二人は俺がシーフイのことを好きだって勘違いして…それでお前がシーフイと親しくしてるのを見て…それで…」
バイロインは狐につままれた気分になり心の中で整理する。
ーーおい、どういうことだよ!?俺は急にあいつらに連行されて一晩中ボコボコにされたんだぞ?挙句、翌日には”人違いでした”って言われて開放されて…それが勘違いが原因だって言うのか!?
バイロインは暗い顔をして起き上がり黙ってベッドの中に入る。グーハイはその様子を見て心が苦しくなる。
「俺が馬鹿だったせいだ!そのことを聞いたとき、俺もすごく辛かったんだ…すぐにお前の様子を見に行けないほどな…そうだ、明日基地に戻るんだ。一緒に行こうぜ。あの二人を探し出すからさ、それで仕返ししてもいいぞ。どうだ?」
バイロインはグーハイを睨みながら言う。
「俺が一番仕返しすべき相手はお前だろ!」
グーハイはベッドに大の字で横になってバイロインを見つめる。
「来いよ。好きにしてくれ」
バイロインはグーハイを無視して布団の中に潜り込む。
グーハイがバイロインを足でちょんちょんとつつく。
「なぁ、インズ。俺がせっかく仕返しするチャンスをあげてるんだから無視するなよ」
バイロインは気だるげに布団の中から返事をする。
「もういい。もう忘れろ。俺もお前のこと誤解してたしそこはお互い様だろ?もうこのことは話すな。これからは気をつければいいだろ」
それを聞いてグーハイも布団の中に潜り込み、バイロインの肩に手をかけた。それに対してバイロインは警告する。
「寝ろよ?」
「おい、別に俺はそういうつもりじゃ…!」
グーハイはそう言ってバイロインの身体を自分のほうに向けて抱きしめる。そして二人は幸せそうな表情を浮かべて目を閉じた。
とても長かった一か月が明けて、やっと落ち着きが戻った。
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※グーハイがバイロインの足を洗う描写について
中国には「洗脚シィ・ジャォ」という「足のお風呂」のような文化があります。
中国は地域によってはアメリカのように家の中で基本的に靴を脱がないで生活します。中国は日本よりはるかに寒く、日本のように裸足でいると凍えてしまうんですね。
そして、ずっと靴を履き続けているとどうしても窮屈ですし疲れてしまいます。そこで「足のお風呂」である「洗脚シィ・ジャォ」でくつろぎます。実際中国には「洗脚の専門店」が数多くあり、日本人の銭湯に行くのに近い感覚で利用されます。
そして、足をお湯につけながら洗ってあげるという行為は疲れを労う、つまり夫婦であったり恋人、家族にする一つの愛情表現ともとれるのです。商売でもない限り他人の足を洗うのはイヤですよね。それをグーハイはバイロインにやってあげているということです。
※ハイロインという作品の主題について訳者の考え
グーハイの気持ちの比喩部分に薬物に関する表現があり、あまりの生々しさに意訳に差し替えようかとも思いました。しかし、この作品のタイトル、邦題は「ハイロイン(海洛因)」であり、これはグーハイとバイロインの名前を意味するとともに、中国語で薬物の一種「ヘロイン」を意味します。
ドラマの原題である「上瘾シャンイン」は「中毒になる、病みつきになる」などの意味があり、原作タイトル「你丫上瘾了?」も「お前、中毒になったのか?」というように、強い依存がテーマになっています。それを踏まえると、この部分を変えてしまうことは原作者様の意図に反すると思い、そのまま訳しています。ご理解下さい。
この章、グーハイとバイロインのやっとの再会に原作者様が本気出して多彩な表現ぶちかましていて翻訳作業がリアル普段の三倍かかりました…笑
それだけじゃなく、全体的に尊みが深くて何度も手が止まってしまいました。
:hikaru