第21章:過去とこの先
あれから丸三日、二人はこの場所でまだ助けを待っていた。
ある時、恐らく捜索用だと思われるヘリが二機自分たちの上空を旋回してどこかに去っていく様子を見てバイロインは決断する。
「リュックの中の食料はもうなくなってしまったし、ここで野垂れ死ぬよりは危険を冒してでも自力で戻る方に賭けるしかないだろ」
「ああ、俺もそう考えていた。」
この場所に降り立ってから一人で行動することは危険な行為だったが、幸い今は二人いる。
ゆっくりと、慎重にグーハイが元いた場所に向かって沼の中を進む。
移動する速さは遅いが、特に大きな問題もなく二人引っ張り合いながら協力してなんとか対岸へたどり着くことができた。
それから三日間ほど歩き、グーハイが車を乗り捨てた場所まで戻ってくる事が出来たのだが、そこにはもう車は無くタイヤ痕だけが残っていた。
「クソッ!」
車での移動手段を失った今、ここからあと二日ほど歩かなければいけない状況になってしまった。
しかし、食料はとうに切れている。この二日間は少ない水とそこら辺で拾った野草や木の皮を食してなんとか過ごしていたのだ。
「ご、ごめん。グーハイ。お腹が痛い....」
そう言って背を向け何処かに行こうとするバイロインの腕を咄嗟に掴む
「おい!どこに行くんだ?周囲は沼地で危険な場所だらけだ、もしお前に何かあったらどうする!?トイレならここでやればいいだろ」
「お前の前で恥ずかしい思いをするくらいなら、沼に埋まって死んだほうがマシだ!」
「お....お前なぁ」
笑いながらギチリと歯を鳴らすグーハイの元から、脱兎の如く逃げるバイロイン。
仕方なくその場で待つ事、五分。突然、「やばい!!」とバイロインが大きな声をあげているのが聞こえてきた。
「おい!!!」
焦ってその声がする方向へ駆けていく。途中、何度か自分も沼に嵌りそうになり助けが間に合わないと考えて大声でバイロインに呼びかける
「暴れるなよ!暴れたら余計沼に嵌っていくだけだ!体を横にして沼との接地面積を少しでも広くするんだ!今行くからな!!」
急いで駆けつけるとそこには、特別危険な様子には見えないバイロインが座ってこちらを見ていた。
「だ、大丈夫だったか?」
そう言いながら、額から溢れる汗を拭う。
「で....出て...出てこないんだ...」
「は?」
急いで駆けつけたはいいが、その叫びの原因は沼に嵌った事では無く便が出てこない事に対してのものだった。
安心したと同時に、怒りが一瞬にして沸点にまで到達する。
怒りと笑顔が混じった恐ろしい形相をするグーハイを見ると出るものも余計出てこなくなる。
「三日間野草と樹皮を食べたんだ!そう簡単に排便できるわけないだろ!!」
言い終わるとバイロインのそばにしゃがんで、「手を上げろ!」と命令する。
バイロインは「何をするの?」とその厚い瞼を持ち上げる。
グーハイはバイロインのお腹に手を当てると、腸の動きを活発化させようと上から下にゆっくりと揉んでいく
「お前は本当に人の上に立つ人なのかよ。この姿をお前の部下に見てもらいたいくらいだ!」
揉まれていると次第にバイロインの眉間に皺が刻まれていき、あるポイントを境にグーハイを突き飛ばす。
「やばい!きたかも知れない!早くどこかに行けよ!!」
用がなくなったグーハイを追い払う。
バイロインの用が終わるまで少し離れたところで待っていると、上空からプロペラが忙しく駆動する音が聞こえてくる。
また捜索ヘリが上空を過ぎて行くのかと眺めていたら、そのヘリはグーハイのいる場所の上空でホバリングすると、そこから少し離れた開けた場所に着陸した。
その機体からは見覚えのある顔が。
「なぜここにお前が?」
「お前が事故にあったって聞いてな」
そう答えたのはグーハイの義兄、グーヤンだった。
バイロインは用を済ますと、すっきりした顔でグーハイのいる元へと戻る。その途中でグーハイの隣に誰か男の人が立っているのが見えた。
「た、助けが来たのか!?」
喜びのあまり満面の笑みを浮かべるが、心を落ち着けるとその口角を収め、いつも通りの涼しげな顔つきでその場所へと向かう。
茂みの中から出てきたバイロインにグーヤンは少し驚いた反応をみせたが、表情にさほど変化はなかった。
バイロインは二人に合流すると「早くこんな場所から離れよう」と一言だけ言い、そのまま大股でヘリに向かって歩いて行く。
ーーあいつ。緊急離脱して何日も行方不明になってたって割には元気だな....
あまりにも普通の様子を装っていたバイロインを少し不思議に思いながら、その後をグーハイと共について行った。
「おい、そこのお前。ここからベースキャンプまではどのくらいかかるんだ?」
そう聞くバイロインにパイロットは憶測で答える
「大体、一日はかかると思います」
そうか。と言いながらあくびをしてパイロットに席を譲る用に手で合図を送る
「俺が操縦する。退いてくれ」
グーハイとグーヤンがヘリに着くと、バイロインが操縦席にパイロットがその隣に座っていた為、二人は必然的に後ろの席に座る事になった。
離陸してからというのも、ヘリ内部の空気は重い。
「タバコを持っていたりしますか?」
バイロインの問いかけに、無言でグーヤンはポケットに入っていた箱を取り出してタバコを一本渡し、そのまま自分も一本咥える。
シュボッ。
ライターで火をつけると、バイロインが上半身を捻って後ろを向き、グーヤンの腕を掴んでそのまま火元にタバコを近づける。
「どうも」
煙を吐きながらそう言って、小さく笑みを浮かべる。
グーヤンは、自分が知っているここ数年のバイロインとのイメージがだぶり頭が混乱する。
ーーこんなやつだったか?
ヘリの中は、二人が吐き出す煙で充満していた。
バイロインはしばらく操縦していると、ベースキャンプに戻る手前の平地で急に着陸する。
「どうしましたか?機体に何かトラブルでもありましたか?」
隣に座るパイロットが不思議そうに尋ねてくる。
「いや...俺はここで降りる。」
「えっ......!?」
突拍子もない発言に豆鉄砲をくらったような顔をする
「べ、ベースキャンプに戻って報告した方がよろしいのでは?」
「俺は今、休暇中なはずだ。ベースキャンプに戻って何を報告するんだ?」
「それは.....少なからず上官にはご自身の安否を報告すべきではないのですか?」
「おい。俺の言う事に不満でもあるのか?」
バイロインが凄むと、パイロットは何も言えなくなった。
その様子を見ていたグーヤンがグーハイのことをチラリと見ると「俺が軍属じゃないからな。俺を見ても知らないぜ」と淡白に答えた。
グーヤンは二人が離れて行くのを見届ける。
パイロットはグーヤンに確認の目線を送ると「あいつらのことは構わず帰るぞ」と返答した。
ーーなぜだ!!?なぜグーヤン様は二人に一緒に戻るようにと説得しないんだ!?なんの命令でここまできた?グーハイ様を連れて帰る為だろ?やっと見つけたと思ったら、そこにはバイロイン少佐まで一緒に居たんだ!二人を連れて帰れば俺は昇進できたってのに!俺のチャンスを潰しやがって!クソが!!
内心では己のチャンスを失った事に対してグーヤンに暴言を吐きながらも、その指示に従ってヘリを出発させる。
肩を並べて歩く途中、自分についてきたグーハイの顔を見上げる
「なんで俺についてきたんだ」
別に、と肩を竦めて言葉を紡ぐ
「ついてきたんじゃない。ただ...帰り道が一緒なだけだ」
「...そうか」
バイロインは我慢出来ずにまた問いかける。
「これからどこに行く?」
「お前の家」
「.......」
黙るバイロインに続けて言う。
「お前の今の家に行こうとしてるんじゃない。....昔の家に行くんだ」
「は?!昔の家?....そんなところに行ったって、もう誰も居ないぞ?」
「そうかもな。ただ、行きたくなっただけだ」
グーハイの提案に暫く迷ったが、結果その案にのる事にした
「分かった。一緒に行こう」
「先に親父さんの元に戻って安否の報告をしなくてもいいのか?」
「いや、大丈夫だ。それに親父はきっとこのことを知らないだろうしな。職務上秘匿にしないといけない任務ばかりだから。....それに本当に俺が行方不明になったのならその連絡は半年後にいくはずだ」
そういったことくらいグーハイだって知っているが、バイハンチーだって何か感じるものがあるかもしれない。...しかし、それを口にすることはなかった。
二人は懐かしの場所へと辿り着く。
庭にあったナツメの木は既に切り倒されており、その畑一面は枯れ草で埋め尽くされていた。
窓の扉はしっかりと鍵がかかっていたが、その柱は色が剥げており、屋根に使用されていた瓦は粉々になっているもの、ひび割れているものなどが殆どであり、なんとも言えぬ想いになる。
グーハイは今でもはっきりと覚えている。初めてここに訪れた時は、あいつとあいつの親父さんがパンツをまた捨てただとかいうしょうもない事で喧嘩していたことを。
そのまま家の中に入りバイロインの寝室の扉を開ける。
彼の部屋の中は全て知っている。この二人で寝るには狭かったダブルベットも軋んで壊してしまったスプリングも。
バイロインはおばあさんの部屋の扉を開ける。
家具はボロボロになっているが今でも昔の様子を鮮明に思い出す。
小さなテーブルの上には漬け物が、壁の隅にはステッキが、そして椅子に座って蒲団扇を持つあの姿が…
グーハイはドアの外に立って、部屋の中に立つその姿を見つめる。
ここでは色々な事があった。
確かにこの家の住人は貧乏だったかもしれない。だが、グーハイにとっては心が満たされる事ばかりで溢れていたのだ。
ーーインズ、お前も俺の心の一部なんだぞ...。
「おい!そろそろおばさんの墓参りに行こうぜ!」
グーハイがいつまでも部屋の中から出てこないバイロインに向かって声を掛ける。
その言葉に反応して振り返る彼の顔に憂いの色はもうなかった。
「誰のおばさんだって?お前はいつの間に俺らの家族になってたんだよ!墓参りする必要があるのは俺だけで十分だっての!」
「ハハハ!いや、俺もそのおばさんにこの家で一年以上もお世話になったんだ!もう家族の一員と言っても悪くないだろう?」
機嫌良さそうに笑うグーハイの元へ行き、二人で古き家から外に出る。
二人が庭から出ようとした時、ふとバイロインがその足を止める。
グーハイも続けて止まり、バイロインの視線の先を見ると一本だけ切り倒されていなかったアンズの木が未だに自生していた。
「そうしてこの木だけは生えたままなんだ?」
「いつでもアラン(昔飼っていた犬の名前、ドラマにも出ています)が帰ってこれるようにさ」
「いつ亡くなったんだ?病気か?」
「死んだのは三年ほど前になるな。病気じゃなくて老衰だった。俺が帰省した時にはもうこの木の下に埋められてたんだ」
そう語るバイロインの語気にはどこか優しさを感じられた。
「俺の計算によると、この犬はお前が俺にキスしてくれた回数よりも多くお前にキスされていたんだ。...だから十分生きたと思うぜ」
「そうかもな」
そう言って二人は霊園に向かって家を後にした。
霊園に着くと二人はそれぞれ花束を持ってお墓の前へと歩いていき、その花を供える。
バイロインはグーハイに向かって言ったのか独り言なのか分からないくらいの声で呟く
「ごめんなさい。おばさんがちゃんと歩いている間に帰ってこなくて...最後会えなくて..ごめんなさい。」
その隣でグーハイは優しくバイロインに言う
「それで良かったのかもしれないな。目の前で大切な人が亡くなるってのは、それはそれで忘れられないものになってしまうからな...」
バイロインは毎回、おばあさんのお墓の前に立つ度にその気持ちが重くなったのだが、今日はグーハイが一緒にいるからなのか、いつもよりは気が楽でいた。
暫くの沈黙の後、グーハイが突然お墓に向かって語り出す
「おばさん、すみません。俺があなた方から孫を奪ったせいで顔をあわせる機会が減ってしまったのでしょう....」
「お、おい!急になに変な事言い出してるんだ?!お墓の前でそんなこと言ったらダメだろう」
バイロインは慌ててグーハイの口を塞ごうとしたが「止めるな。言わせてくれ」とグーハイにその手を拒まれる。
改めてお墓に向き合い、その言葉の続きを紡ぐ
「もし俺がこいつを手にした事が不安で、黄泉の国で安心して過ごせないのならどうか俺を呪ってやってください。たとえ、おばさんに呪われたとしても構いません」
グーハイは深呼吸をして、最後の言葉を天に向かって叫ぶ。
「けど、俺はこいつと生きていく事を決めました!!」
_______________________
このブログではコメントに対して直接ご返事が出来ないシステムだっていうことをつい先ほど知りました(汗)
なので、次からコメント返信は多くなければこの後がきスペースにて行おうかなと考えています!
今回は一つ前の記事にコメントしてくださった方へ!ありがとうございます!
そう言ったお言葉をかけて貰えると、翻訳の励みになります!拙いですが、ぜひこのまま続きを読んでいってください!
:naruse
202004追記:加筆。最後の部分、ちょっと雰囲気変えました!