第23章:幸せな喧嘩
書類を見つめるその眉間には深いシワが刻まれている。
真剣なその表情をする反面、心ここに在らずといった雰囲気だった。
ーーあいつとこれからどう接していったらいいんだよ。
一方でバイロインもどうしたらいいか分からないままでいた。
二人とも別れを切り出してお互いに誰も隣がいない状態だと言うのに、どちらからも「悪かった。」だとか「もう一回やり直さないか?」だといった言葉を切り出さない。
グーハイは執務室の中をぐるぐると歩く。
若くして会社を経営するほどの頭脳を持ってしても、殊更あの男に関するとその思考は全く定まらないでいた。
ーー何を話したらいいのかも、今までどうやって会話していたのかすらも、分からなくなってやがる...!
二度と同じ過ちを繰り返すことはできない。
グーハイは去年、自分が犯した暴挙の日々を思い出す。バイロインにはきっと、もういい印象は持ててもらえてないのだろう。
そう考えては、心が重くなる。
部屋の中を歩いていると、ふと窓の外にバイロインの車が駐車場に停まっているのが目に入る。
その瞬間、今まで悩んでいたことが一気にどうでも良くなりグーハイの心は幸せで満ち溢れる。
今までの冷静沈着な二枚目経営者のイメージとはかけ離れた笑みを浮かべて、バイロインを迎えにエレベーターまで駆けていく。
「え?あれ誰!?社長!?」
「エン副社長との披露宴の時よりか、幸せそうな顔をしてたわね」
オフィスの横を通っていくグーハイを見ては、口々に驚きの声をあげていた。
エレベーターから出てきたグーハイは先ほどまでとは別人のように、いつもの様子で何気なく会社の外へと出てきた。
バイロインの事を見えていないふりをして、自分の車に向かってまっすぐと歩いて行く。
一方、バイロインはというと老婆から買ったロバのおもちゃに夢中で会社から出てきたグーハイのことを見ていなかった。
グーハイの仕事はまだ終わらないと思っていたので、車の中で時間を潰し後で電話をかけようと考えていたからである。
グーハイは自分の車の元へ到着してもバイロインからなんのアクションもないことに不満げになる。
「あいつ、目が悪いのかよ!そんなんでよくパイロットになれたもんだな」
仕方ないとぼやきながら、身なりを整え、ときめく胸をなだめながらバイロインの車へ向かい、その窓を叩く。
ノックに反応するとそこにはグーハイが立っていた。
「な、何でお前がここにいるんだ?!」
車から降りてきたバイロインはしっかりと整えられた軍服を着用しており、女性なら誰もが虜になってしまうほどのオーラを放つ。その見た目は、髪型から靴まで完璧な状態だった。
その姿に理性が抑えきれず、グーハイは思わず抱きついてしまう。
「....上から見てたのかよ。何でわざわざ降りてきたんだ?」
グーハイの奇行に呆れながら理由を問う。
グーハイはハッとしてバイロインから離れると、喉を鳴らしてわざと説明口調で答えた
「いや。今日は外で会議をしていたんだ。会社に入ろうとした時にお前の車を偶然見かけたから声をかけにきただけだ」
「偶然ねぇ....」
何となく察するバイロイン。
「お、お前はディシュアンに会いにきたのか?ちょっと待ってろ。今呼んでくるな」
そう言って離れようとするグーハイの腕を掴んで、少し怒りの混じった声色で抑制する
「冗談言うなよ。あの子は二日前に辞めたはずだろ?」
「そうだったか?」わざとらしいポーズをとって白を切る「毎年この時期に会社を辞める人が多いからな。そういったことは全部、人事部に任せているんだ。俺はよく分からん。」
白々しいなと吐き捨てながら片方の口角を上げて笑う。
「それはそうと。お前は何しにきたんだ?」
「お前に会いにきたんだ」
その言葉にグーハイは内心驚くが、表情は一切変えずにそうかと呟く。
「何で俺に会いにきた?」
「お前を襲いにきたんだよ」
突拍子もない答えに一歩後ずさりをしてしまう。
「.....どこぞの変質者の言葉だよ」
「あの沼での晩に俺を襲ってキスをしたのは何処のどいつだったかなぁ?おい、忘れたとは言わせないぞ?」
「で、出鱈目を言うなって!おい、警備員!このチンピラを捕まえてくれ!」
グーハイの呼び掛けに応じてやってきた警備員。この警備員は愚直にもグーハイの指示を真に受け、本当にバイロインに向かって飛び掛かり、その警棒でバイロインの右肩を思い切り打つ。
その様子を見たグーハイの顔は一気に黒くなる。
バイロインを叩いた警備員の腰を思い切り蹴り飛ばすと、勢い良く地面に転げ回る。
「誰がこいつに手を出せって言ったんだ!!?」
グーハイの怒号に意味が分からず「つ、捕まえてくれと社長が...」と呟くと
「冗談に決まってるだろ?!殺されたいのか?」
さらに凄まれたので「も、、申し訳ございません」と平謝りする事しか出来なかった。
グーハイがバイロインの叩かれた方の肩を摩っている隙に警備員は脱兎の如く逃げだす。
「あいつ...!」
そう言って追いかけようとするグーハイを引き止めると、今度はバイロインの方を向いて怒鳴ってきた
「お前もお前だぞ!俺の後ろから襲ってくるあいつの姿は見ていただろう!?何で避けなかったんだよ!!?」
「わざと」
表情を変えずに淡々と言い放つ目の前の男に呆れてしまう
「お前なぁ…」
「俺は軍人だぞ?あんなの屁でもないさ。それにしてもお前は怒ってばっかりだな。少しくらい笑えないのか?」
ーーお前が傷ついているのを見て笑えってのか!?
「なぁ、俺の事で一々腹を立ててちゃ駄目だぞ?お前は社長なんだ。些細な事で不祥事でも起こしてしまったら、俺は責任なんて取れないんだからな」
そうは言ってもと、殴られたその肩に目をやる。
バイロインは話を変えようと明るい表情になる
「ところで、今日はお前の息子を運んできたんだった!」
「息子ぉ?」
車の中から老婆から買ったロバのおもちゃを取り出して、グーハイに見せる
「どこが似てんだよ」
その言葉に笑いながらロバを車の屋根の上に置いてスイッチを押すと、軽快な音楽と共にロバは首を前後左右に振り出す。
やはり何度見ても面白いのか、バイロインはロバを見ては腹を抱えて笑っている。
グーハイも一緒に笑ったが、このロバに笑わされたのではなく透き通った笑顔を見せるバイロインの反応に笑っていた。
「貸してみろ」
そう言っておもちゃを持ったグーハイはニヤニヤと笑っている
「どうして俺が馬の年に生まれたって知ってたんだ?」
「お前の雰囲気がそう物語ってたんだよ!」
そう言うとグーハイの肩を叩く
「俺からのプレゼントなんだ。大切にしろよ?」
にやけてしまいそうになるのを抑えながら、わざと不満を口にする
「こんなおもちゃ、持ってたら恥ずかしいだろ。人に見られたらおしまいだな」
「じゃあ返せよ!」
グーハイの手から奪い返そうとしたが、元より返す気のないグーハイからは奪えなかった。
「お前からこんな大切な贈り物を貰ったんだ。お礼をしたいから俺の部屋まで一緒に行かないか?」
ニヤけるグーハイの顔を見て何かを察したバイロインは「そんな暇はない!」とだけ言い残して車で逃げて行った。
「あ!おい!」
少し強引だったかと後悔しながらも、離れていく車を笑顔で見送る。
バイロインは少し離れたところで車を停めて、遠くから会社に戻っていくグーハイを眺める。
「どこが恥ずかしいって?」
ロバのおもちゃを大切そうに抱えて、恥ずかしがるどころかむしろ他の人に見せつけるようにして会社の中に入って行った。
「...何だよ」
頰が緩んだその顔で、車を走らせたのだった。
執務室に入ると、社長は手に持つロバのおもちゃをぼけっと眺めていた。
いつもは冷酷な印象があり、従業員が彼に冗談を言うことも出来ない雰囲気だったが、今日の社長はなんだか優しさを感じられた。
安っぽい誰から貰ったのか分からないおもちゃに向かって微笑み続ける社長がやっと報告しにきた私に視線を向ける。
笑みを浮かべたまま自分の方を向いたので、まるで自分に笑いかけているのではないかと錯覚してしまう。
そこでいつもなら口にはしない冗談を言う
「社長に似てこのロバも可愛いですね!」
するとグーハイは一瞬真顔になったかと思うと、すぐに破顔の笑みを浮かべた
「そうだろう?!よし、お前には今月から給与を二万多く支払おう!」
ーー経営部に勤めて早数年、入社してから全く給与は伸びなかった私が、このロバを少し褒めただけで二万も上がるなんて!!え!?
彼女は混乱を極めていた。
仕事が終わると、ロバをカバンに入れて帰宅する。
バイロインは実はあの後 家に帰っておらず、グーハイの会社の周りを何周かして仕事が終わるまで時間を潰していのだ。
グーハイが会社から出てきて車に乗り込み出発させると、それを尾行する。
尾行されていることくらい分かっていたが、わざと無視して自宅まで帰る。
玄関の扉を開けようとした時に後ろに人影が見えたので驚いた演技をする
「何でここにいるんだ!?」
わざとらしい演技を無視してバイロインは家の中に入っていく。グーハイもその後を追って入ると、バイロインが振り返って恥ずかしそうに上目遣いに「俺にご飯を作ってくれよ」と言ってきた。
そう言って視線を下に動かすと、グーハイの手の中に自分があげたロバが握られていたのを見て意地悪をする
「それ、持ってたら恥ずかしいんじゃないのか?なんで家まで持ってきてるんだよ」
「会社に置いてると恥を掻くからな」
「!!.... なら返せよ! 帰る!」
グーハイからロバのおもちゃを奪い返し、家から出ようとしたがそれをグーハイに阻まれる。
ドアノブをいくら回してもグーハイがドア自体を押さえつけているので一向に開かない。
「何すんだよ?!」
グーハイを睨むと、当の本人は笑顔でいる
「お前は何か勘違いをしているな。ロバは返したけど、お前を返すなんて一言も言ってないだろ?てか、こんなにドアノブをガチャガチャ乱暴に回しやがって。壊れたらどうしてくれるんだ?」
出ていくことを諦めたバイロインは冷たい笑みを浮かべて、両手で拳をつくり骨を鳴らす。
「いいだろう...教えてやるよ!」
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22章、グーハイが帰ったのは実家だったという設定に直したいと思います。
違うかもしれませんが、現状グーハイ自体は一人暮らしということにします。
また話に矛盾が出てきましたら、随時修正。修正箇所の報告を行なっていきますのでご了承ください。
:naruse
202004追記:加筆修正