第37章:駆けつけた後に...
深夜、グーハイはエンの部屋のドアをノックする。
エンは風呂から上がり、髪を乾かしている途中だった。
ドアをノックする音が聞こえ、思わず呆然とする。
ーーこんな遅くに何の用かしら?
不思議に思いながらも、もしかして。という淡い期待を抱いてしまう。
ドアが開かれると、そこには風呂上がりだろうと思われるエンが立っていた。
薄い紫のローブを身に纏い、腰には結び目をつけてそのスタイルの良さを最大限に活かした格好だった。
体からはほんのりとソープの香りが漂い、部屋は薄明かりで彼女の妖艶さを演出していた。
普通の男性なら、この姿を見た瞬間どんな重要な用事も忘れて飛び付いてくるだろうが、グーハイにその誘惑は効かない。彼に効果があるのは男性であり、さらにその男性の中でもバイロインという男だけだった。
「急用が入った。俺は先に戻る」
「今から?! 明日も打ち合わせがあるのよ?」
「本当に大切な事なんだ。打ち合わせの件はお前で解決してくれ」
そう言うと、大股でエレベーターに向かって歩いて行った。
グーハイの後ろ姿を見て、エンは驚くと同時に呆れてしまう。
「どうして男の人って意見をコロコロ変えるのかしら?...明日の打ち合わせで話すプロジェクトは、だいぶ前から絶対に契約を取るようにと言っていたじゃない...」
どれだけ重要な仕事だったとしても、誰かのためなら全てを捨てて駆けつける。
ーーやっぱり、恋する男は頼りないわね....
姿が見えなくなったグーハイに舌を出し、ドアを閉めた。
病床でただ横になっているだけだったバイロインは、骨抜きになってしまう。
戦場では誰もが恐れ崇拝する兵士だったが、ここではただのいち負傷兵だ。
バイロインは、グーハイが焦った顔で自分の元に来るのを楽しみに待つ。その事を考えるだけで、戦場での出来事も自分の負傷も全て忘れてしまう。
八年前、バイロインは自分に本当に必要な人なんていないと考えていた。グーハイと離れて八年間.....やっと気づいたのだ。
我儘な自分に全てを注いでくれる存在の大切さを。
扉が開く音が聞こえた瞬間、神経を尖らして入り口を盗み見る。
そこに立っていたのは白い装束を着た女性だった。
「消毒の時間ですよ〜」
看護師の優しい声が眠るバイロインに呼びかける。
バイロインは身を起こし、怪我をしている足を差し出す。
看護師が手に持つトレーの中には、包帯が用意されていた。それを見たバイロインは目を輝かせる。
「自分で消毒できます」
そういって自分からトレーの中の道具を取ろうとするバイロインに、驚きの声を上げる。
「あら、ダメですよ!」
「何がいけないのですか?」バイロインは女性が好きであろうキリッとした甘い顔にする「自分は軍人なんです。いつ怪我しても大丈夫なように一通りの処置は学んでいます。だから、これくらい一人でも大丈夫ですよ」
「ダメなものはダメなんです!」看護師も頑固だった「ここに来たら病人です。病人は私たちにお世話をされるべきです」
「自分は潔癖症なんです...人に触られたくない」
「消毒された手袋を使用してるので心配しないでくださいね」
「.....少し、手をこちらに向けてくれませんか?」
首を傾けながら両手を差し出すと、バイロインにその手袋を取られてしまう。
「何をするんですか?!」
驚く看護師を無視して自分の包帯を解く。傷口を簡単に消毒すると、与えられた薬を均等に塗る。あまりにも的確で素早し処置に看護師はつい見惚れてしまう。
「これで納得してくれましたか?...なら、後も自分で出来るので大丈夫ですよ」
看護師はその言葉を聞くと「そのようですね」と言い残し、笑顔で退室していった。
バイロインは怪我した場所を包帯で巻くと、残った包帯で全身のあらゆる箇所に巻き付けていく。
重傷に見せかける為だった。
自分の出来に満足すると、再び掛け布団を被って横になってグーハイを待ち始めた。
グーハイは可能な限り最速で病院に駆けつける。
担当医から病室の場所を聞き出すと、走ってバイロインの眠る部屋へと向かう。
バイロインは自分の元へ近づいてくる足音に、緊張してしまう。
病室の扉が開かれると、直ぐには入って来ずその場で立ち尽くすグーハイの姿があった。
病室の横に“バイロイン”と名前が書かれていなければ誰だか分からないほどに、その姿は変わっていた。
体躯の良かった健康的な体は痩せ細り、いつものかっこいい顔は痩けて傷だらけ。包帯が至る所に巻かれており、痛々しい姿で横たわっていた。
グーハイはバイロインの元へ近寄り、ベッドに座ってその顔を優しく撫でる。
「大丈夫だぞ。インズ....俺が来たからな。」
バイロインはゆっくりと目を開けてグーハイの顔を視認する。彼らしくない、何かを堪えているような表情をしていた。
グーハイはバイロインの虚ろな瞳を見て、今までどんなに辛い事をしてきたのかを想像し心がきつく締め付けられる。
「インズ、大丈夫だ....大丈夫さ。会いにきたからな...俺が、いるんだ...いくら傷があっても俺はお前を愛するから...」
バイロインは何かを言おうとしたが、唇が切れていて上手く言葉が出てこなかった。
「何も言うな.....分かってるから」
自分を見つめるグーハイの辛そうな顔を見て、思わず手を握ってしまう。
自分の手を握るバイロインの手を見ると、さらに心がきつく締められる。
今までの手だって訓練で多少荒れていた。しかし、今日のバイロインの手を見ると爪は捻じ曲がっており、あちこちに血豆や鬱血、裂傷痕が見受けられた。
「ちょっと待ってろ......直ぐ戻る」
そう言うグーハイの顔は暗い照明のせいでよく見えない。
ーー不味い!医者のところにでも行かれたら、俺の嘘がバレてしまう!
立とうとするグーハイの腕をギュッと掴む。
「行かないでくれ....ここに、居てくれないか?」
グーハイはバイロインが見た目の割には強く握られた事には気づかない。
「大丈夫だ。トイレに行くだけだから、な?」
「この部屋にもトイレは備えついてる」
そう言って、入り口付近にある扉を指差す。
グーハイは素直に従ってトイレの中に入って顔を洗い、備え付けの鏡に映る自分の顔を見る。
今年で二十六、八年前から一度も流さなかった涙が無意識に溢れ出てきていた。
トイレから啜り泣く声が聞こえて、なんだか心苦しくなってきた。
実際は足首の骨折だけなのだが、グーハイを驚かしたくて嘘をついた。しかし、思っていたよりも重く捉えたグーハイの様子に、罪悪感を感じてしまう。
正直に言わなければ、後々不味い状態になると悟ったバイロインは、トイレから出てきたグーハイに真実を伝える。
「グーハイ、ごめん。その....お前に早く会いたくて、本当はそんなに悪くないのに死ぬかもだなんて言って.....」
「分かったから。もういいんだ。」低い声で語りかける「俺のことを心配かけまいとしてるんだろ?...そんな事はしなくていいんだ。俺の前でくらい本当に辛い時、本当に苦しい時は泣いてもいいんだ....笑ったりなんかしない」
そう言う彼からは、まるで母親かの様な優しさを感じられた。
簡単にお風呂に入り、グーハイに手伝ってもらってベッドまで運んでもらう。なるべく傷口に触れない様に、優しく抱きかかえられて寝かしつけてもらった。
バイロインから寝息が聞こえてくると、グーハイは優しく体に触れる。すると、異常なほどの熱さを感じて、思わず手を離す。
ーー傷口からの炎症か!?
グーハイは慌ててコールを押す。呼ばれて駆けつけた医者は、部屋に入ると驚きの表情を浮かべた。
「こ、ここは....バイロインさん、の部屋です、よね?」
「彼じゃないなら、ここにいるのは誰なんだよ?」
医者は不思議そうな、何か考え込む表情をする。
ーーあれ?私が行った手術はアキレス腱の損傷回復と骨折の処置だけでしたよね?なんでこんなに包帯が巻かれてるんでしょうか....?
「どうかしたのか?!」
バイロインを見つめたまま黙り込む医者の様子に、グーハイは焦りを覚える。
「えっと、あ、何でもないです。身体が熱いとの事でしたよね? そうですね...まずは体温でも測ってみましょうか」
五分後、医師は体温計を手にして呟く
「体温は正常のようですね...」
「正常だと?」
驚くグーハイに、医者は手に持つ体温計を見せる
「ほら、正常でしょう?」
グーハイはバイロインをチラリと見た後に、医者に「外で話そう」と囁く。
外に出た後、医者はグーハイに詳細を伝えたがそれを頑なに信じようとしなかった。
それでは、とカルテを持ってきては診断結果をグーハイに見せつける。
何かを悟ったグーハイは、バイロインのいる病室を見る。
先ほどまでは冷静さを欠いていたが、よくよく見てみるとこの部屋は軍の上層部が使う高級な個人部屋のようだった。
重傷の患者が、こんな医療器具の揃っていない部屋で過ごすだろうか?
医者も看護師も長い間 部屋を訪れなかったが、そんな事あるのだろうか?
「バイロインさんは足首の骨折と、アキレス腱の損傷。...あとは、裂傷痕が多少目立つだけで特別な異常はないので、ご安心を」
医者にそう真実を言い渡される。
グーハイの雰囲気が次第に変わっていく気がした。
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さて。今回の内容ですが.....
皆さんご存知。バイロインはもうグーハイが好きで仕方がないです!大好きすぎて、つい悪戯したら、バレちゃいましたね(笑)
にしても、グーハイがバイロインを気遣うシーン。自分で訳しておきながらなんですけど結構ジーンときました!
上手く雰囲気を伝えられてるような翻訳が出来ていれば良いですけど...(笑)
:naruse