第142章:駄々っ子バイロイン
翌日の朝、四時半にツォおばさんが自分のお店に出かける。
バイロインは一晩中ぐっすり眠ることができていなかった。玄関のドアが音を立てて、バイロインはすぐ目を覚ました。両足が布団からはみ出ていて布団の中も全然暖かくないし、どうせ起きても寒さは変わらないと思い、起きることにした。
バイロインがお店に着くとツォおばさんはすでに忙しくしていた。
店の中にはまばらに客がいて、そのほとんどが学生である。
「インズ、もう起きたの?」
バイロインは頷いて朝食を二つ注文し、持ち帰ることにした。
ツォおばさんはニコニコ笑っている。
「今日はあなたが代わりに買っていくのね?」
「昨日俺は家にいなかったし、実家からここは近いし、ついでにグーハイの分も持っていくんだ。あいつがここに来るのも心配だし」
ツォおばさんは微かに目を潜める。
「あぁ、そうだわ。ところでなんで昨日はあんな夜中に来たの?」
バイロインは朝食を受け取った後、バツの悪そうに笑う。
「ちょっと実家が恋しくなったんだよ」
「もう……」
それからツォおばさんは笑ってこれ以上質問することはなかった。
バイロインは時計に目をやる。まだ五時十分だ。急いでグーハイのいる家に帰る。この時間であればグーハイはまだ家を出ていないだろう。
グーハイはいつもの時間に目を覚ました。早起きが彼にとっての習慣になっていた。ただいつもと違う点が一つ、隣にバイロインがいないのだが。
グーハイはいつもより早めに家を出るために支度をする。バイロインに朝食を買って学校に持っていってあげようと考えていた。
しかし靴もまだ履いていないうちにドアのベルが鳴る。
ーーこんな朝早くに誰だよ?
グーハイがドアを開けるなんとそこにはバイロインが立っており、手には二人分の朝食をぶら下げている。
「お前…」
グーハイは予想だにしなかったバイロインの帰宅にぽかーんとしている。
バイロインは何も言わずに部屋の中に入っていく。
ーーやっぱりここは暖かいな!
今までバイロインがグーハイに朝食を買ってきたことはなく、グーハイは感動で胸がいっぱいになっていた。
バイロインが冷えた手をしきりに擦っているのを見て、グーハイは無意識のうちにバイロインを抱きしめていた。温かくて大きな手がバイロインの頬を覆っている。心を痛めたような眼差しでバイロインを焼き付けている。
「昨日は一晩中寝れなかったんだろ…?」
バイロインはグーハイと目を合わせることができない。やはり嘘をつくようなことはしてはならないのだ。
ーーこんな気分、最悪だ…!
「いや…ちゃんと寝たよ」
「いや、寝てないんだろ」
グーハイの口調には深い思いやりがこもっている。
「お前がちゃんと寝てたら、こんな早く起きるわけないだろ…?」
ーー頼む…もう俺のことを叱ってくれよ……
バイロインは水のように穏やかな表情をしている。しかし内心では荒れていた。
グーハイはまだ自分の気持ちを伝える。
「俺は辛いんだ…」
バイロインの心の中は感情がもつれている。グーハイの心の痛みと嘘がもとで彼から与えられる愛を早く終わらせるために、バイロインはお腹が空いたと言う他なかった。それに空腹も我慢の限界にきていた。
食事中、グーハイが質問する。
「一体、家で何があったんだ?」
バイロインはこの質問をされることは分かり切っていた。だから昨夜のうちにしっかりと嘘の言い訳を考えていた。
「二番目の伯父さんなんだけどさ、彼には娘と息子がいるんだ。それで昨日、彼の娘が彼氏と別れたんだ。そしたら自分の部屋に閉じこもってさ。いくらドアを叩いても出てこなくなったらしいんだ。それで怒った伯父さんがドアを蹴破ってさ。その後どうなったと思う?部屋の中で殺鼠剤(さっそざい)を飲んで自殺しようとしたんだ。ドアを蹴破った時にはもう顔が真っ青でさ。親父が俺に電話してきて来てくれって言われたんだ。万が一に備えて人手がいるだろ?俺は結局、いとこには会えず仕舞いだったんだけどな」
グーハイは濃い眉を傾けながらまた質問する。
「結局今はどうなったんだ?」
「病院に入院してるよ。まだ治療中だ。伯父さんがこのことをかなり恥じているんだ。もし命の危機じゃなければ伯父さんは誰にも、俺の親父にすら連絡してこなかったと思うよ。彼は世間体をとても気にしているんだ。入院している病室に入るのだって嫌みたいでさ。一人で外でしゃがんでタバコを吸ってたよ」
グーハイはそれを聞いてひとまずホッとした。
「大丈夫そうならよかった。だけどよ、お前のいとこも男が諦めきれなくて死のうとしたんだろ?」
「俺もそう思ったんだ。その時伯父さんに彼女は死にたかったんじゃないかって聞いたんだ。死なせたほうが彼女のためなんじゃないかって。でも俺の親父が無理矢理病院に連れて行ったんだ」
バイロインの話には現実味があった。
グーハイはバイロインの肩を叩く。
「あまり気にするな。どうせそこまで付き合いも多くないんだろ?お前はそのいとこに対してそこまで特別な感情もないんだろ?」
バイロインはため息をつく。
「俺はお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが心配なんだよ…だって二人からしたら孫娘だろ?」
「それで…今日は実家に帰らなくてもいいのか?」
これこそがグーハイが一番関心のある事柄だ。
バイロインは返事をためらい、困ったように話す。
「それは…状況次第だな…」
午後、学校で自習中。グーハイは宿題をやりながらぼーっとしていた。昨夜、充分に準備をしていたが、結局何もできずに終ってしまい残念で仕方なかった。そして念のために前に見た内容を復習することにした。実践の際、なにか不備があれば今までの苦労は水の泡になる。
バイロインはとても耳が利く。グーハイが手に携帯を持つ音が聞こえ、神経が一瞬にして引き締まる。
放課後、バイロインは体を捻り、グーハイのほうを見る。
「俺、また実家に帰るよ」
「もう危険な状態は終わったんだろ?」
バイロインは困った顔をしている。
「親父から昼間に電話があってさ。いとこはもう退院したみたいなんだ。ただ、わめき続けてるみたいで人が見てないといけないみたいなんだ」
グーハイは少しイライラしていた。
「他所の家のことをそこまで気に掛ける必要があるのか?いとこが騒ぐならそいつの身内が見ればいいだろ?両親と兄弟がいるんだし、何もお前が行かなくてもいいだろ?」
「伯父さんはむしゃくしゃして口では気にしていないって言ってるけど、娘を心配してなければこうやって電話をかけてくることもしないだろ。ツォおばさんは毎朝早く出かけて帰りは夜遅いし家に帰ればトンテンもいる。親父は仕事があるし親父がいつも帰ってこないとおばさんも心配するし……」
「お前は学校に行かなくていいのかよ?」
グーハイが言い返した。
バイロインは顔をこわばらせ、わざと悲しい顔をする。
「別に俺が必ず行くわけじゃないんだ。親父とおばさんと交代で様子を見るんだ。今日は俺の番なんだよ…」
グーハイは不満を顔に浮かべるも言い返さなかった。
バイロインはカバンを持って、焦った様子で話す。
「先に帰るよ」
そう言い終えると、一目散に出ていった。
ーー 一日だけ!一日だけだ!
バイロインは実家に着いて、トンテンを呼ぶ。
「今から言うことを覚えてくれ。賢いお前ならできるよな?」
「どうしたの?」
トンテンは小さい顔でバイロインを見ている。
バイロインは身をかがめて、真っ直ぐ向き合いながら話す。
「家で事故が起きたんだ。お前のお父さんとお母さんはこの二日間大慌てで、迷惑をかけちゃいけないんだ。ちゃんと聞いてるか?」
トンテンはよく分からないという顔をしている。
「でもお母さんとても嬉しそうだったよ!今日も僕に約束してくれたんだ。今度のテストが終わったらハッピーバレーに連れて行ってくれるの!」
(ハッピーバレー:中国の遊園地。わりとデ〇ズニーっぽい)
「遊ぶことばかり考えやがって!」
バイロインはトンテンの頭を叩く。
「お母さんは我慢してるんだよ。お前の前で悲しそうにできないだろ。お前に話しても分からないだろ!」
トンテンはムッとして黙っている。
バイロインは再度言い聞かせる。
「とりあえず覚えてくれ。俺たちの家は大変なことになったんだ。だからしばらく大人しくしてるんだ。いいな!?」
バイロインは立ち上がってため息をつく。嘘をつくのは本当に骨が折れる作業だ。
もうグーハイを騙した最初の言葉のせいで、二度と元には戻せないのは明白だ。この逃げ道が無くなる前に次の手段を考えられるよう願っている。
夜、実家で自室のベッドで横になっている。バイロインは布団をかけているがとても冷たく、いくら転げまわっても足は氷のように冷えている。
すると突然、グーハイのことが頭に思い浮かぶ。グーハイの温かくて大きな身体のことを考えながらゴロゴロする。口は少しうるさいが、しかしバイロインのことを温めてくれる。
そんなことを考えていると丁度、グーハイからメールが届いた。
『インズ。ベイビー。お前のことを抱いて寝たいよ。なでなでしたい』
身体中に鳥肌が立つ。
しばらくするとまた何通か来た。
『本当に悔しいよ。お前はここ数日間帰ってこない。今まで何を言ったっとしても一緒に寝てたのに』
『インズ、俺がこの間お前に嫌なことしたからか?わざと俺のことを罰してるのか?』
『ベイビー、もう寝るよ。お前も早く寝るんだぞ。暖かくしろよ』
バイロインは携帯を置いて、大きくため息をつく。
ーー痛みなくして得るものなしかよ!
そして翌日、バイロインは布団の冷たさに耐えきれず、グーハイのいる家に帰る。
その日の夜、夕食を食べ終わり、バイロインはずっと机で宿題をしていた。一時間程度で終わるようなものだ。しかし、わざとゆっくりと時間をかけて解く。なんと三時間もかけたのだ。そしてようやく宿題を終えたあと、時間はすでに十時を過ぎていた。丁度寝る時間だ。
布団に入った瞬間、温かい気持ちに包まれて、気持ちよさそうにバイロインは目を細める。
グーハイは微かに口角を上げてバイロインの腰に手を伸ばしてゆっくりと近づいていく。
すぐにバイロインの下腹部が何度も擦られて異様な熱を感じる。
グーハイが手を下に動かしていく。バイロインの口から温かい吐息が漏れる。
「インズ…」
馴染み深く魅力的な声がバイロインの耳元で漂う。
しかし危険信号がバイロインの脳を直撃する。良く知った苦痛が波のようにどっと押し寄せてくる。
バイロインはグーハイの手をぐっと掴む。頭で異常をはっきり理解していても声はまだ蕩けている。
「すごく疲れたんだ。今はぐっすり寝たいよ」
グーハイは舌でバイロインの耳たぶを優しく擦る。
「俺がお前のこと、充分にリラックスさせてやるからな…」
すると突然、バイロインの身体の向きを変えてグーハイを抱きしめる。腕をグーハイの身体にしっかりと巻き付けている。どうしても動かすまいと強く抱きしめ、グーハイは少しも身動きができない。
そして疲れて気だるげな声でグーハイを魅了する。
「ダーハイ、俺は本当に眠いんだ…ゆっくり眠らせてくれるか…?」
そう言って目を閉じて頭をグーハイの肩の下に軽く押し当てる。
グーハイはしばらく黙ったままじっとしていた。そしてバイロインの力のこもった腕が緩む。グーハイはバイロインの脇から腕を通して抱きながら一緒に眠りについた。
その後の数日間、バイロインは嘘を実行し続けた。”自分の順番”が来たといい、一晩実家に帰る。しかし、これにより自らを苦しめていた。その翌日はグーハイのいる家に帰り、温かい布団に入って眠る。
グーハイが何かサインを出すと、バイロインは必ずこのようにして難を逃れていた。
「すごく眠いんだ…疲れたんだよ…分かってくれ……」
この状態が週末まで続いた。
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※『ーー痛みなくして得るものなしかよ!』について
原文”真是有得必有失啊!”
これは直訳すると「何かを失わずして本当に得るものはない」になります。
日本語だと「虎穴に入らずんば虎子を得ず」がそれに近い言葉になるのですが、ニュアンスが少し異なるため、今回は英語の”No pain,No gain.”「痛みなくして得るものなし」をベースに訳しました。
暖かいベッドを手に入れるためには発情した(タチりたい)グーハイの相手をしなければならないという意味ですね。
バイロインがトンテンに対してサイコパスすぎて引いてます…笑
どうしてバイロインがここまでグーハイを避けるのかというと、あの苦痛と恐怖がまだ心と身体にこびりついているからですよね。
精神的に追い詰められたバイロインは自分でも何をしているのか分からず、自身の言動に困惑しています。
今後、どう展開していくのか。お楽しみに!
:hikaru