第58章:責任転嫁
部屋から飛び出して数刻、グーヤンは歩いて元の部屋へと帰っていく。部屋に入る前、窓の外から見えたバイロインはソファにもたれかかり、全身で疲労を体現しているようだった。
しかし、顔半分は暗闇に隠れ、もう片方が淡い光に照らされて疲労を感じさせるその横顔でさえ、グーヤンには神秘的に見えた。
声もかけずに部屋の中に入り、横たわるバイロインの隣に座る。床には灰が散らばっていた。
「俺が出て行ってから...ここで、ずっとタバコを吸っていたのか?」
バイロインの方を見ず、斜めに遠くを見て呟くその問いに返事は返ってこない。
「寝ているのか?」
目を細めたグーヤンは、その綺麗な頬に己の唇を近づける。しかし、触れる寸前で頬と唇の間をバイロインの指が阻む。
「汗をかいてるんです。...汚れますよ」
「...俺らは普通に接することも出来ないのか?」
「出来ないことはないです」バイロインは疲れた身体に鞭を打ってグーヤンの方を向く「俺が剥いたリンゴにケチをつけずに受け取り、お礼にあの図面を渡してくれたら...ですけどね」
バイロインの言葉を受けてゆっくりと深く溜息を吐き出す
「...なら、晩ご飯を作ってくれ。腹が減った」
グーヤンからの新たな注文に顔を歪ませながら、バイロインはキッチンへと向かう。
材料を洗っている最中に、あの忌々しい顔が自分の肩の横から姿を現す。
「俺は味が濃い方が好きだからな」
「濃い方?」バイロインはからかいのまなざしをグーヤンに向け、自然と上がる口角を抑えてその口を開く「なら、ヒ素(毒物)でも隠し味に入れて炒めてあげましょうか?」
「...ふん。別にそれでもかまわないぞ、お前も一緒に食べるんだからな」
「それは無理な話ですよ」バイロインは今だけ自分の置かれている冷酷な状況を利用する「我らが師長の指示で、俺は今 脂身しか食べられないんです」
「...シュウ・リョウウンか?」
グーヤンが彼の名前を口に出した瞬間、その吐き出された言葉には微かな怒気が込められていた事を感じる。
「ええ。彼は今 俺の身体を強化するという目的で厳しい食事制限を設けているんです。もし、それを破ったら...俺は罰せられてしまう」
「...どういう罰なんだ?」
グーヤンの問いに、バイロインは彼を知らない者でも無理して作ったとわかるほど弱々しい笑みを浮かべた
「脂身を生で食べるんです」
「ハッ!」
あまりにもくだらない冗談に思わず鼻で笑い、身を翻して食卓に戻ろうとした瞬間だった。後ろの方からバイロインが何かを吐いているような声が聞こえ、振り返ってみる。すると、流し台に向かい本当に嘔吐をしているバイロインの姿がそこにはあった。
彼の口から出てくるものは、白い泡のようなもので、少なくとも固形ではない事が見てとれる。
「これを早く持って運んで!!」バイロインが用意していた料理を苦しそうに指差す「...汚れてしまいますよ...」
「あ、ああ」
グーヤンはその肉を持ち上げては何か思ったのか、その場で数秒静止する。そして、その皿をバイロインの前に置き様子を見ると、やはりバイロインはまた吐いてしまった。
「本当なのか...?」
グーヤンが独り言のようにボソッと呟くと、それを聞いていたバイロインは少し怒りを含めた表情でグーヤンを見上げる。
「愚問ですね...」
グーヤンは脂身の多い肉を外のゴミ箱に捨てると、バイロインに向かってその“罰”の内容を尋ねる
「一体どれぐらいの脂身を食べたんだ?」
“脂身”その単語を聞いた瞬間、バイロインは急いで流し台に顔を向けまた吐きだす。
その様子を見ていたグーヤンの顔は、バイロインを虐めて楽しんでいた少し前とは違い、その理不尽さに顔を醜く歪める男の顔をしていた。
「...もういい..です。今その言葉を聞くと吐き気が抑えられない...」
その言葉を受けてグーヤンはゆらゆらと部屋の外へ出ていくと、数分してまた部屋の中に戻ってきた。
「これを飲め」
バイロインはグーヤンが何を言っているのかよく分からず、思わず目を大きく開いてしまう。部屋に戻ってきたグーヤンの手の中には二錠の薬が握り締められていた。
「飲み終わったら、さっさと調理の続きをするんだ」
ーーなんて畜生なんだ...!!
バイロインは自分に背を向ける男に向かって、怒りで歯を軋ませキッチンに向かうのであった。
暫くしてキッチンの方から焦げ臭い匂いが漂い始める。
グーヤンが急いでバイロインの元へと向かうと、先ほどまで料理をしていた彼は床に横たわっていた。
「...効いたか」
先ほどバイロインに飲ませた錠剤は睡眠薬であり、見ていてあまりに辛そうだったバイロインを休ませるためにわざと服用させたグーヤン。
そのまま寝室へとバイロインを移動させようと抱きかかえた瞬間、タイミング悪く集合の警報が鳴り響く。
条件反射で目を覚ましたバイロインは、睡眠薬の効き目もあってか半覚醒の状態で部屋の外を目指して走り出していった。
午後の訓練の際、リョウウンは部下に命じてバイロインの部屋のみに特殊な警報器を設置するように指示を出していた。
もしリョウウンが彼を一人だけ訓練したいなら、この特殊な警報器を押せばいい。そうすると、バイロインの部屋だけ警報が鳴るというシステムだった。
故に、バイロインが訓練場に到着した時には彼以外に誰も人がいなかった。
しかし、バイロインはその事に気づかず、リョウウンの元まで歩み寄る。
その途中、訓練場に戦闘機が配置されている事に気づくバイロイン。
ーーよかった...これなら負担にはならない
バイロインにとって戦闘機を動かす訓練は、たいして苦ではなかった。
ーーいや、待てよ。なんで戦闘機の下にロープが垂らされてるんだ?
違和感の正体に気づいた瞬間、リョウウンが話しかけてきた。
「この前のお前が言っていた問題その二の訓練だ。今夜は...つまり腰の治療という事だな!」
そう言って戦闘機を見上げるリョウウン
「この機体に括り付けられているロープを腰に巻いて、己の力だけでこの戦闘機を動かすんだ。なに、難しいことを言ってるんじゃない。ここから、たった五十メートル移動させるだけで今日の訓練は終了するんだぞ?」
「… ...。」
結局、二時間近く努力したがたった二メートルしか動かすことは出来なかった。自分の何十倍もある重量を引っ張っていたバイロインの腰には、きつく縛られた縄の跡がくっきりと赤く現れていた。
リョウウンはその様子を見ていて満足そうに頷くと、今日はこのくらいにして残りは明日にしようとバイロインに伝える。
しかし、バイロインは頑にそれを拒む。
「い、いえ。五十メートルくらい引けないと...この先、務まりませんから」
バイロインのやる気を受け流すようにリョウウンは大きく欠伸をする
「そうか。じゃ、俺は帰るから、お前はここで頑張ってろ」
そう言って訓練場から立ち去るリョウウンの後ろ姿を確認し、その姿が見えなくなるとバイロインもひっそりと訓練場から抜け出す。
別の目的があったのだ。
部屋で一人待つグーヤンは、ベッドの上でタバコを吸いながらバイロインの帰りを待っていた。
暫くすると、ドアを開く音が聞こえてきたのでその方向を目を薄めて見つめる
「任務は終わったのか?」
「...終わってない」
バイロインは大量の汗をかきながら、その苦しそうな表情で水を勢いよく口にする。
「一旦帰ってきただけです...十分も休んだらすぐ戻りますから...」
なぜこんな事をしなければならないのか、理解できずにいたグーヤンは思わずバイロインに問い掛けてしまう。
「な、何をしてるんだ?」
「戦闘機を引っ張って五十メートル移動させる訓練ですよ」バイロインは額の汗を荒々しく腕で拭う「今は二メートルほど動かしてきました」
とんでもない内容に頬が引きつるグーヤン
「またあの男の考えたやつなのか...?」
その問いに言葉ではなく激しい相槌で答えを告げると、薬の効果と倦怠感に抗えなくなったバイロインは、意識を失うようにしてその場で横になった。
十分も寝ていないだろう。しかし、バイロインは兵士として叩き込まれた根性で目を覚ますと、再度部屋の外へと向かう。もちろん、行き先は訓練場。
バイロインの苦しそうな表情を見つめるグーヤンもまた、複雑な表情を浮かべていた。
しかし、訓練場に向かうはずのその足は方向を変え、兵士の宿舎の方へと歩みを進めていた。
宿舎に着くと雑談している新米兵士を摘まみ出し、彼らを訓練場に強制連行させては、戦闘機を前に並ばせ、これを十メートル移動させるように命令を下す。
そして、命令を下したバイロインはというとコックピットの中に入り込み、部下が十メートル移動させるまで睡眠の時間に充てていた。
「隊長、お...終わりました!」
合図を受けると元気よく機体から降り、その曲がった腰をうんと伸ばしては自分の部屋の方へと戻っていく。
部屋に着くと、バイロインはまた歯を剥き出しにしながら苦しそうに腰を曲げ、水をガブガブ飲んでは、流れるようにソファにもたれて寝息をたてる。
そして、十分後に再び立ち上がると、訓練場に向かって部屋の外に出る。
訓練場に戻ったら戻ったで、またその兵士に戦闘機を十メートル前に引っ張らせ、バイロイン戦闘機の中で寝て、終了の合図を受けると部屋へと戻り芝居を打つ。
こんな事を三、四回も繰り返していると、空が明るくなりかけていた。
しかし、グーヤンはまだ何も言ってこない...。
ついに、バイロインが何度目かの出発をする際にその腕を掴み、バイロインの動きを止めさせる。
「わかったから!...もう行くな!もう、ベッドで寝てくれ!」
その言葉を待っていたバイロインはわざと己の舌を少し噛みちぎり、激しく咳き込む。
そうして吐き出した唾には全て、血が混じっていた。
「あと一メートル...残ってる...ん、です」
バイロインはこの上なく苦しそうな演技でグーヤンを騙す。
バイロインの様子を本物だと思い込んでいるグーヤンは、焦ったように例の図面をチラつかせた。
「冗談で言ってるんじゃない!...もし、この部屋から一歩でも出ようものなら、明日にはこの図面が誰かの手に渡ってると思うんだな!!」
「...フッ。あの人を怒らせるより、あなたを怒らせた方がまし、です」
そう吐き捨てて、バイロインは部屋を後にした。
訓練場に行き、新米兵士を集めて声を掛ける。
「お前らはもう帰ってもいい!...ただし覚えておけ、ベッドがあってその上で寝ることの大切さを!...こんな夜遅くまで雑談してその大切な時間を削るなどという行為を次行ったら、またこの罰を食らわせてやるぞ!」
「「「はい!!」」」
バイロインの言葉を聞いた兵士たちは、もう二度と同じ過ちを犯さないという恐怖で染められた表情を浮かべ、その場を後にした。
彼らが居なくなると、バイロインは紐を今度は自分の腰に巻いて、残りの一メートルを引っ張る事を始めた。
兵士たちが訓練場を去ってからまもなくして、グーヤンもまたこの場所を訪れていた。
空はまだ暗かったが、それでも奮闘する彼の姿は輝いて見えた。
グーヤンは今までバイロインがここまで泥臭くもがいている姿を見る事がなかった。グーヤンにとってのバイロインとは、気高く、英気があり、どんな時でもスマートにこなす完璧な存在だと思っていた。
しかしこの瞬間、グーヤンはバイロインの人前に曝け出さない脆い部分を初めて見たのだ。
ーーお前は...この八年間、一体どれぐらい非人間的な訓練を受けてきたんだ?...なぜ、そこまで自分を徹底的に追い詰められるんだ...?
グーヤンに見られている事がわかっていたバイロインは、最後の力を振り絞って移動させたように見せかけ、任務を終わらせるとその場に倒れるようにして横になった。
太陽が昇り、バイロインは嬉々として訓練場へと向かう。
グーヤンはというと、グーハイの会社に向かうわけではなく、別のところへと向かっていた。
昼過ぎ、また二つの脂身がバイロインの前に置かれている。
もちろん、向かいの席にはリョウウンが座っており、こちらを無表情で見つめていた。
そんな時だった。
突然 ドアが蹴られ、グーヤンの顔が二人の前に現れた。
リョウウンは入ってきたグーヤンの顔を見るや否や、冷たく「お前にはもう興味がないんだ。ここに何しにきたんだ?」と吐き捨てる。
グーヤンは自分が今まで生きてきた中で、ここまで横暴な人を見た事がなかった。
理由もなく自分を誘拐し、何日間も苦しめられた。最後は誤解だったとわかったが、それに対しての謝罪も一切なく、当たり前のような表情で無視されたのだ。
そして今、この男は「興味がない」とぬかしている。
興味がないならば、蹴り飛ばしてしまう汚いご主人に使えていたとでも言いたいのか。
そしてこの状況を見る限り、グーヤンは自分がここにいることの正しさを感じる。
バイロインに復讐をしようと思い今まで行動してきたが、この男の方が何十倍も冷酷で癪に障る。それに比べたら、バイロインなんてかわいいものじゃないか。
「悲しい事を言わないでくださいよ。...俺はまだあなたに興味があるんです」
グーヤンが淡々と言葉を紡ぎ終わると、外から警笛が鳴り響く。
瞬間、数十人の武装警察兵士が銃を持って部屋の中に入ってきた。引率者の警官がリョウウンの前に来て、厳粛な面持ちで手に持つ証明書をつきつける。
「シュウ師長、申し訳ございません。あなたに国家機密売買の疑いがかけられていますので、逮捕させていただきます!」
急な展開だったが、リョウウンも伊達に長い間軍に勤めていない。表情を一切変えないまま、「わかった」と一言だけいい、ゆっくりと手を伸ばす。
伸ばされた手首に手錠が取り付けられ、部屋の外へと出て警察車両へと向かう。
グーヤンの側を通る時、獲物を視線で殺す瞳でリョウウンが睨みつけたが、一般人だと一生もののトラウマになりそうなそれでさえ、グーヤンには効かなかった。
バイロインは怒りを装った表情を浮かべながら、グーヤンの襟を掴む。
「何をしてくれてるんだ!」
「俺はあなたに警告した!手を出さないようにと!!」
そう凄むバイロインの瞳には、英気が宿っていなかった。
「安心しろ。別にあいつは殺されないさ。せいぜい数日間苦しめられるだけだ」
バイロインにだって、リョウウンが殺されないことはもちろん知っている。
しかし、バイロインは心の中で叫ばずにはいられなかった。
ーー俺はやってやったぞ!!
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お久しぶりです!
ギリギリの中でこなしたので、色々とおかしいところがあるかもしれません...主に口調とか(笑)
さて、今回のお話で色々と進みましたね!
最後の方は間違って訳してる可能性が高いので、後に矛盾があれば訂正いたしますね!
ハイロインが配信されて嬉しいです!皆さんもこれからもっと楽しんでいきましょう!
:naruse